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とたた万はりて歸國す, をして、六千五百餘騎を率ゐて、米澤口にむかはしめ、その餘の軍勢は、南, 十三日、古河驛よめ、御書をたまむ、石田三成、大谷吉隆等、廻文を作り、兵を, 義光かもとへ、津金修理亮胤久、中川市右衞門忠重兩人を御使に下され, 部信濃守利直を先陣として、凡一万七千六百餘騎、山形を發す、七月七日、, 〳〵く山形城に來會し、義光か手に屬せしかは、まり嫡男修理大夫義康, 擧むと企つるのきこえあれは、景勝と接戰のこと、しはらくとゝまなへ, 太刀をよひ御書を下され、六月十一日、諸手の軍列を定めらるゝにをよ, ひ、義光は、米澤口にむかひ、合戰の期にいたり、會津にうち入たしとて、い, にして、内々仰ありけるは、いあよめ忠義を勵し、よく境堺を守らは、景勝, か兵勢震ふことあたはし、奧羽のをさへとたのみおほしめさるとて、御, 二十一日には、會津に御出陣あるへきのあむた、諸將とゝもに參陣すへ, しと仰下され、大坂の三奉行等は、三成か催促に應をさなおもむきなり, て、近國の諸將南部、戸澤、六郷、秋田、本堂等をはしめ、鈞命にしたかむ、こと, し、小國表にをいそ、人數をあつめ、うち入へきむ手、御下知をのうふる、二, こはゝりをい, 慶長十九年正月十八日, 〓藩翰譜ニ、關原役ノ時、上杉景勝ボ, 義光ニ内應ヲスヽムルコト見一, 見ユ, 義光近國, ノ諸將ト, 共ニ米澤, 口二向フ, 家康西上, 慶長十九年正月十八日, 五七一
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- 〓藩翰譜ニ、關原役ノ時、上杉景勝ボ
- 義光ニ内應ヲスヽムルコト見一
- 見ユ
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- 義光近國
- ノ諸將ト
- 共ニ米澤
- 口二向フ
- 家康西上
柱
- 慶長十九年正月十八日
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- 五七一
注記 (27)
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