『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.592

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

し申たり、, 世の中靜謐の後、老臣共、山形の城丈夫に、普請被成, 門悉引分て、方々に預け置給ふ、其後義光公逝去の刻、仰置れけるは、七日過, は、越後父子に切腹を可申付、助けをかは、必國の仇となるへしと、くれくれ, 家親公え御遺言有しかは、七日乃日數立けれは、追付越後父子御成敗被成, 公え切腹可爲致の旨、忠義に思召候、於左有は、官位は大藏大輔望次第、尤其, 〓む、越後か掛硯に、秀頼公の御朱印あり、清水大藏大輔を相かたらひ、義光, 加賀に在付候も、則山形え注進す、是に依て、中納言殿え使者を遣はし、御斷, 越後最上を立退し時分、伊賀守のしのひの者とも二拾人宛、目付被遣ける, 方は、庄内三郡本領に相添可被下置との御朱印也、加樣の義は、聊も御存な, も右のことくにて立退、三年か内、諸國を廻りけれとも、在付事叶はず、終に, 高野え登り入道しけり、義光公、此由を聞召、色々童はかり、最上え引返し、一, 〔最上記〕, 仰入られしかは、加州をも牢人し、越後少輔殿え、二万石にて出けれとも、是, くて、兎角越後は、國の仇と成へき者と見知給ふ御眼力、おそ法しと諸人感, 可然とすゝめしに、大名の居城、丈夫にして盆なしとて用ひ給はす、, ○諸録鮭網, 三十所收, 居城ヲ堅, 固二セズ, 慶長十九年正月十八日, 五九二

割注

  • ○諸録鮭網
  • 三十所收

頭注

  • 居城ヲ堅
  • 固二セズ

  • 慶長十九年正月十八日

ノンブル

  • 五九二

注記 (22)

  • 403,631,49,274し申たり、
  • 288,1343,65,1493世の中靜謐の後、老臣共、山形の城丈夫に、普請被成
  • 1211,614,68,2211門悉引分て、方々に預け置給ふ、其後義光公逝去の刻、仰置れけるは、七日過
  • 1094,622,68,2197は、越後父子に切腹を可申付、助けをかは、必國の仇となるへしと、くれくれ
  • 980,619,67,2208家親公え御遺言有しかは、七日乃日數立けれは、追付越後父子御成敗被成
  • 748,620,67,2211公え切腹可爲致の旨、忠義に思召候、於左有は、官位は大藏大輔望次第、尤其
  • 864,622,66,2208〓む、越後か掛硯に、秀頼公の御朱印あり、清水大藏大輔を相かたらひ、義光
  • 1675,612,70,2204加賀に在付候も、則山形え注進す、是に依て、中納言殿え使者を遣はし、御斷
  • 1790,613,70,2200越後最上を立退し時分、伊賀守のしのひの者とも二拾人宛、目付被遣ける
  • 631,623,68,2206方は、庄内三郡本領に相添可被下置との御朱印也、加樣の義は、聊も御存な
  • 1443,619,71,2202も右のことくにて立退、三年か内、諸國を廻りけれとも、在付事叶はず、終に
  • 1327,613,68,2201高野え登り入道しけり、義光公、此由を聞召、色々童はかり、最上え引返し、一
  • 257,585,100,260〔最上記〕
  • 1560,613,69,2205仰入られしかは、加州をも牢人し、越後少輔殿え、二万石にて出けれとも、是
  • 515,620,67,2210くて、兎角越後は、國の仇と成へき者と見知給ふ御眼力、おそ法しと諸人感
  • 167,635,67,1995可然とすゝめしに、大名の居城、丈夫にして盆なしとて用ひ給はす、
  • 311,920,43,325○諸録鮭網
  • 269,924,40,249三十所收
  • 188,261,42,170居城ヲ堅
  • 147,265,37,162固二セズ
  • 1904,683,43,421慶長十九年正月十八日
  • 1918,2403,42,115五九二

類似アイテム