『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.787

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世の名人にして其名高し、河東流と云も此末也、, 顯はし繁榮し、後に法躰して淨雲と云り、是淨瑠璃太夫の根元也、此淨雲の, 右衞門と云し女太夫、京四條川原に於て、淨瑠璃操芝居を興行せり、夫より, 吉等の太夫有、別して泉〓堺の住、薩摩次郎右衞門江戸に立越、大に名譽を, しより、淨瑠璃太夫に受領を勅免成し也、, 次第に弘まり、珍敷慰成とて、大名高家の奧方所々へ召出され、後には太閤, 佐、虎屋永閑、江戸半太夫、剃髮して坂本梁雲と號す、此人大薩摩以來、江戸近, 京都に昔は淨瑠璃葉流ず、説經與八郎、哥念佛日暮林清、同弟子林達等を翫, 夫、源太夫、長門太夫、右の四人何れも虎屋と號せり、正保慶安乃比四天王と, 子も又薩摩治郎右衞門と號し、相續きて名人也、淨雲弟子丹後太夫、丹波太, 稱美せし名人也、次に近江太夫法躰して語齋と號す、江戸肥前、同外記、同土, 慶長年中の末より、江戸に淨瑠璃繋昌して、油屋茂兵衞、鳥屋治郎吉、四郎與, 秀吉公の御上覽にも入、剩さへ慶長年中には、禁庭へ召出され、叡覽に及び, を語らひ、木偶に仕形をさせ、十二段を語り始めたる、永禄年中に、六字南無, 三ケ津淨瑠璃流布、并古流盛衰之事, 叡覽, 慶長年中, 薩摩淨雲, 組マス, 形遣ニ仕, 淨雲門下, ノ四天王, 慶長十九年九月二十一日, 七八七

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  • 叡覽
  • 慶長年中
  • 薩摩淨雲
  • 組マス
  • 形遣ニ仕
  • 淨雲門下
  • ノ四天王

  • 慶長十九年九月二十一日

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  • 七八七

注記 (24)

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