『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.997

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

目的を達せざりき、, 督教徒の迫害を中止し、甥の權六をして、代りて長崎を治せしめたり、十二, 月、左兵衞大坂に出發するに先立ち、珠數其他宗教上用具を、公衆の面前に, が、内府樣其軍を率ゐて、大坂に出陣せられしかば、勢ひ諸侯も亦之れに參, ルフワネル、并にパードレ・デ・ルエダを、代る〳〵同地に遣し、パードレ・エル, デ・サンタ・マルタも、亦竊かに同地に到らんとせしが、警固の嚴しきを以て、, に、薩摩及び肥前の兵士を率ゐて、長崎に歸れり、, 在り、サン・ドミニコ派の地方副長パードレ・デ・スマルラガは、又パードレ・オ, 加せざるを得ず、爲めに長崎に出しゝ兵士を召還せしにより、左兵衞は、基, ン・フランシスコ派の宣教師パードレ・ペドロ・バプチスタ、パードレ・ペドロ・, ナンド・デ・サン・ホセフは、竊かに船に乘じて、所々の基督教徒を慰問せり、サ, デ・アスンシヨン、パードレ・アポリナリス・フランコ及びパードレ・ジヨアン・, 左兵衞は、初め長崎の基督教徒をして、全く其信仰を捨てしめんと思ひし, 斯る間に、大坂に於て戰爭始りしが爲め、奉行等は、基督教徒無しと宣言し、, 十一月二十五日, ードレ一人、并に長崎のサンタ・マリヤ寺の長老パードレミゲル同地方に, ○十月二, 十四日, 大坂役ト, 禁壓, 基督教徒, 慶長十九年九月二十四日, 九九七, 助

割注

  • ○十月二
  • 十四日

頭注

  • 大坂役ト
  • 禁壓
  • 基督教徒

  • 慶長十九年九月二十四日

ノンブル

  • 九九七

注記 (24)

  • 1091,574,58,572目的を達せざりき、
  • 391,579,66,2206督教徒の迫害を中止し、甥の權六をして、代りて長崎を治せしめたり、十二
  • 272,580,68,2208月、左兵衞大坂に出發するに先立ち、珠數其他宗教上用具を、公衆の面前に
  • 626,582,64,2209が、内府樣其軍を率ゐて、大坂に出陣せられしかば、勢ひ諸侯も亦之れに參
  • 1678,582,63,2187ルフワネル、并にパードレ・デ・ルエダを、代る〳〵同地に遣し、パードレ・エル
  • 1211,576,62,2223デ・サンタ・マルタも、亦竊かに同地に到らんとせしが、警固の嚴しきを以て、
  • 864,1371,60,1430に、薩摩及び肥前の兵士を率ゐて、長崎に歸れり、
  • 1792,568,63,2207在り、サン・ドミニコ派の地方副長パードレ・デ・スマルラガは、又パードレ・オ
  • 508,579,66,2212加せざるを得ず、爲めに長崎に出しゝ兵士を召還せしにより、左兵衞は、基
  • 1446,587,61,2209ン・フランシスコ派の宣教師パードレ・ペドロ・バプチスタ、パードレ・ペドロ・
  • 1562,583,61,2198ナンド・デ・サン・ホセフは、竊かに船に乘じて、所々の基督教徒を慰問せり、サ
  • 1331,578,58,2223デ・アスンシヨン、パードレ・アポリナリス・フランコ及びパードレ・ジヨアン・
  • 742,581,65,2211左兵衞は、初め長崎の基督教徒をして、全く其信仰を捨てしめんと思ひし
  • 975,573,67,2232斯る間に、大坂に於て戰爭始りしが爲め、奉行等は、基督教徒無しと宣言し、
  • 859,574,56,481十一月二十五日
  • 1907,574,67,2205ードレ一人、并に長崎のサンタ・マリヤ寺の長老パードレミゲル同地方に
  • 889,1090,41,246○十月二
  • 848,1087,40,178十四日
  • 1011,208,41,163大坂役ト
  • 925,208,40,84禁壓
  • 967,207,41,172基督教徒
  • 167,649,45,470慶長十九年九月二十四日
  • 180,2372,46,123九九七
  • 1946,201,40,39

類似アイテム