『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.998

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於て燒かしめたり、この時パードレ・アロンソ・デ・ナバルレテは、俗人の服を, 亦貿易を妨げず、町の叛亂を避けんが爲めに、次のポルトガル船の到着ま, 人、及びイスパニヤの家に寄寓せり、, 種々の呵責を受けたる後に、十二月二十六日、都の橋の下方宇治の岸に於, 著し、危險を冒して火中より數品を取出せり、パードレ・オルフワネルは、此, 四年二月、迫害の始めに當り、基督教徒として捕へられ、其後牢舍に繋がれ、, め、教會は再び平和の状態に歸し、聖祭は、所々に於て自由に行はれ、政府も, 内府樣との戰爭に功名を顯し、後駿河に到りて將軍に仕へしが、千六百十, 北方にては、尚ほ數人の殉教者あり、其中最も著名なるは、安藝の高屋の人, にして、有名なる武士ジヨアン兵右衞門、又兵左衞門なり、同人は毛利殿と, では、基督教徒に對して、何等の處置を採らざる事を命じたり、基督教徒は, て斬首せられたり、, 皆秀頼の勝利を望めり、, 時長崎にあり、宣教師等は、安全の爲めに、日本人の家を去つて、ポルトガル, 權六は基督教徒に對して、叔父よりも稍寛大なる處置を採れり、戰爭の爲, 基督教徒, 勝利ヲ望, ハ秀頼ノ, 慶長十九年九月二十四日, 九九八

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  • 基督教徒
  • 勝利ヲ望
  • ハ秀頼ノ

  • 慶長十九年九月二十四日

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  • 九九八

注記 (20)

  • 1795,589,68,2212於て燒かしめたり、この時パードレ・アロンソ・デ・ナバルレテは、俗人の服を
  • 1090,586,70,2212亦貿易を妨げず、町の叛亂を避けんが爲めに、次のポルトガル船の到着ま
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