Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
大橋重保, 重保も大坂をさる, 秀次に達するのとこ海、幼弱乃あひたは、よろしく學術をは〓ますへしと, 母は某氏、父, かうぬり、事次てに急なり、重保舊好をおもひ、且元の館にたくこもよ、ほと, き、豐臣秀次、重保を尋もとめらるゝのよし聞えしかは、父か舊友によりて、, れく、且元逆意な資よしきこえしろは、其圍をまぬかれ、茨木に退くにより、, なり、これより京師乃南禪寺にいり、以心國師に隨從すること三年、秀次自, 殺のゝち、西國に流浪し、其後大坂にいたり、片桐東市正且元に屬し、としを, 歴て乃ち豐臣秀頼乃右筆となり、慶長十九年、且元、秀頼にそむくの浮説を, 重慶討死乃とき、わ〓つに三歳にして、伯母のもとにたしなはれ、九歳のと, 返書遣、奈良ニ在之由之状也、此使者ニ善助方へ書状遣、, 右之折紙岡二郎兵ニ渡ス、, 〔寛政重修諸家譜〕, 一門樣御内, 中沼左京殿, 慶長二十年正月十六日、大橋長左ゟ、今十六日之状來、, 〔本光國師日記)〕〓慶長二十年正月十六日、大橋長左ゟ、今十六日之状來、, 〔本光國師日記〕, 號龍慶、式部卿法印, 勝千代、長左衞門、剃髮, ○寛永諸家系圖傳ニハ「慶長十九年、大坂陣の時、人皆市, 四百八, 正謀叛すと謂、こ〓によりて、市正其宅に楯籠、弟主膳正, 六, 筆トナル, 秀頼ノ右, 秀次南禪, 且元ト共, 寺二學バ, ニ大坂ヲ, 退去ス, シム, 重保事蹟, 慶長十九年十月一日, 二九
割注
- 號龍慶、式部卿法印
- 勝千代、長左衞門、剃髮
- ○寛永諸家系圖傳ニハ「慶長十九年、大坂陣の時、人皆市
- 四百八
- 正謀叛すと謂、こ〓によりて、市正其宅に楯籠、弟主膳正
- 六
頭注
- 筆トナル
- 秀頼ノ右
- 秀次南禪
- 且元ト共
- 寺二學バ
- ニ大坂ヲ
- 退去ス
- シム
- 重保事蹟
柱
- 慶長十九年十月一日
ノンブル
- 二九
注記 (36)
- 1340,1505,57,274大橋重保
- 305,641,54,562重保も大坂をさる
- 990,637,61,2217秀次に達するのとこ海、幼弱乃あひたは、よろしく學術をは〓ますへしと
- 1337,2519,54,338母は某氏、父
- 531,646,59,2206かうぬり、事次てに急なり、重保舊好をおもひ、且元の館にたくこもよ、ほと
- 1106,642,62,2228き、豐臣秀次、重保を尋もとめらるゝのよし聞えしかは、父か舊友によりて、
- 415,645,60,2221れく、且元逆意な資よしきこえしろは、其圍をまぬかれ、茨木に退くにより、
- 875,646,62,2214なり、これより京師乃南禪寺にいり、以心國師に隨從すること三年、秀次自
- 760,636,62,2216殺のゝち、西國に流浪し、其後大坂にいたり、片桐東市正且元に屬し、としを
- 642,640,64,2216歴て乃ち豐臣秀頼乃右筆となり、慶長十九年、且元、秀頼にそむくの浮説を
- 1223,640,60,2217重慶討死乃とき、わ〓つに三歳にして、伯母のもとにたしなはれ、九歳のと
- 1455,645,59,1655返書遣、奈良ニ在之由之状也、此使者ニ善助方へ書状遣、
- 1689,719,56,786右之折紙岡二郎兵ニ渡ス、
- 1323,597,97,567〔寛政重修諸家譜〕
- 1922,1172,55,322一門樣御内
- 1806,1294,52,341中沼左京殿
- 1567,1291,59,1583慶長二十年正月十六日、大橋長左ゟ、今十六日之状來、
- 1550,600,105,2274〔本光國師日記)〕〓慶長二十年正月十六日、大橋長左ゟ、今十六日之状來、
- 1551,603,104,494〔本光國師日記〕
- 1323,1806,42,547號龍慶、式部卿法印
- 1366,1805,43,612勝千代、長左衞門、剃髮
- 326,1216,45,1625○寛永諸家系圖傳ニハ「慶長十九年、大坂陣の時、人皆市
- 1374,1229,37,172四百八
- 282,1220,44,1620正謀叛すと謂、こ〓によりて、市正其宅に楯籠、弟主膳正
- 1326,1226,41,107六
- 638,271,37,162筆トナル
- 679,274,42,169秀頼ノ右
- 927,274,41,168秀次南禪
- 465,272,40,166且元ト共
- 884,272,41,163寺二學バ
- 424,284,38,150ニ大坂ヲ
- 377,269,41,121退去ス
- 844,278,31,69シム
- 1352,276,42,170重保事蹟
- 200,708,46,384慶長十九年十月一日
- 195,2443,42,73二九







