『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.670

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てありたり、家の老石見守重定は, 破、加茂、席田、本巣、山縣九郡のうちにおゐ之、一萬石の地を宛行はるゝの, 高善院と號す、徳野の禪臺寺に葬る、, 歴すへきのよし、これを傳ふ、九年八月晦日、美濃國可兒、羽栗、中島、大野、不, を東國に質として參らす、美濃の國關の原の戰に、秀秋裏切りして、上方の, む〓、御朱印を下され、十年伏見におゐ之東照宮に拜〓し、御麾下に列し, 給ふを待つて、必ず裏切りすへきよしを申す、重ねて重定か舍弟出羽守某, 濃の國徳野の地下し賜ふ, なりけれは、重定して、入道の男甲斐守長政と謀を通し、徳川殿攻め上らせ, 軍をかけ破り、その勸賞に、備前、備中、美作の地を賜はる、幾程なくて秀秋卒, 後可兒郡徳野を居所とす、十二年二月二十四日卒す、年四十八、心月宗安, 黒田勘解由入道如水か姪婿, 頼資母は某氏、慶長十年河内國に生る、十二年遺領を繼, し、世嗣なくして家絶ぬ、大御所、やかて石見守重定を御家人に召出され、美, 四慶長五年の秋、東西の軍一時に起る、金吾秀秋は、初より無二の東國方に, その男石見守頼資父に繼く、, 平岡石見守藤原重定き、金吾中納言秀秋か家の老なり、」, 〔藩翰譜, 慶長十二年二月二十四日, 三萬石を領, 十二, 三歳、, 一萬, せしといふ, ○下, 時に, 石、, 略, 下, ヲ賜ハル, 家康ニ屬, シ美濃徳, 野一萬石, 六七〇

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  • 三萬石を領
  • 十二
  • 三歳、
  • 一萬
  • せしといふ
  • ○下
  • 時に
  • 石、

頭注

  • ヲ賜ハル
  • 家康ニ屬
  • シ美濃徳
  • 野一萬石

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  • 六七〇

注記 (34)

  • 876,647,59,989てありたり、家の老石見守重定は
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