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供仰付られ、味方の手負を療治す、其子甫庵法橋之珍の時、元和二年、江戸に, しといへ共、木村か證書候とて出しけるに、木村は實ニ其時證書を與へさ, のゝりたなとかや、, るにより、齋藤か訴論然るへからさるに決せらる、齋藤、其朝大に酒を呑く、, しとて、池田□□に預らる、釆邑を除かれぬ、されと剛の者なれは、用に召し, 無禮放言多かりし中に、御前を退出て、大音をあけて、目くら成殿に仕へて、, をらるゝ旨上意を蒙り、百五十俵の食祿を玉ふ、同十九年大坂御陣の節、御, 訴に負ぬる由を申たる、面り聞召、齋藤か無禮譴告せすは、虚妄の論長す, 立へき者なりとて、甲冑と鎗をは□れて、其惡聲には少の怒にもおはしま, の先後を爭ひ訴に及ひしかは、御前に召て判斷せら多、齋藤か先驅分明也, 十三年、外科の良術を以て、駿府御城に於て、東照宮に拜〓す、外科醫師を命, 衞門も、木村に屬して戰功有しかは召出されしか、三人武功を論して、先登, 召に應して駿府に來り、東照宮に仕へ奉る、醫家藩翰譜云、望月宗慶は、慶長, 〔附録〕, 〔駿國雜志〕, 望月忠庵宗慶傳云、望月忠庵宗慶は慶長年中の人也、, 醫家, 四十, 負傷兵ヲ, 望月忠庵, 療治ス, 慶長十九年十一月二十六日, 四〇七
割注
- 醫家
- 四十
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- 負傷兵ヲ
- 望月忠庵
- 療治ス
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- 慶長十九年十一月二十六日
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- 四〇七
注記 (23)
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