『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.593

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留るとかや, 冬の陣ニは大坂方天滿橋に向ひ、夏の陣には當家え被召出、忠政君の御供, 手ニ、大男金の段々の差物にて足輕ヲ遣ふ、あれ打よと下知せしと也、小出, 五曰より廿六日の晩まて、〓砲せり合アリ、城方よりは、天滿橋中ノ間の橋, ク天滿橋の向西の方へ廻りしる者は、橋の反有之故ニ手負無之、橋ヲ兩脇, ヲ入、自分肩ニ振かたき、惣軍へ餅ヲ支配したる事事稠かりし處ニ、其振見, 城方橋の板圍の内には、小出與右衞門罷在、森の先, 筒ヲ打出ス故、當家の諸卒手負數多し、或は討死のもの有之、當家のもの、早, ハ金ト黒き段々の大差物ヲさし、預の足輕ニ〓炮ヲ打セ下知したる也、差, へ外シたるものは、横合より〓炮來り、手負もの多し、一日のせり合故、腰兵, 先手のもの我一倍に粉骨を盡し、自ら竹束ヲ付て攻合たり、伴半兵衞直次, 糧辨當等不給故ニ、晩ニは諸勢勞レたる處へ、各務九左衞門, 事也、津田茂左衞門云けるは、千貫餅とは此事也、何れも心能給られよと云, の行桁は殘し、上板は悉ク引放シ、川中へ板圍ヲ附出シ、挾間ヲ切、數十挺の, 物ニ玉九ツ中り、しなたれの甲ニ〓炮中て、綴ヲ前へ打廻シ、うけ張にて玉, 忠政君當家の攻口は、仙波より取詰、十一月廿, 嶋の袋に餅, 〔森家先代實録, 〔森家先代實録〕〓播學忠政君當家の攻口は、仙波より取請、十一月廿, 其甲差物結, 今ニ有り、, 歳, 廿, 滿橋ヲ攻, 森忠政天, 慶長十九年十二月三日, 五九三

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  • 其甲差物結
  • 今ニ有り、
  • 廿

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  • 滿橋ヲ攻
  • 森忠政天

  • 慶長十九年十二月三日

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  • 五九三

注記 (27)

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