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馬嘉明上誰云々、, 見ユ、參看スベシ、, 〔駿府記)〕四月廿日、松平陸奧守政宗、, 尋デ、長政、其子忠之ニ命ジ、兵ヲ率井テ來會セシム、, 黒田長政、加藤嘉明、江戸ヨリ京都ニ抵ル、明日、伊達政宗モ亦京ニ著ス、, 〔參考〕, まふ、是を征伐し給はん爲、家康公は、四月四日、駿府より御發向、秀忠公は、同, 黒田筑前守長政、加藤左, 〔土御門泰重卿記〕一四月廿一日、晴天、政宗上洛也、, 松平陸, 十九日、江戸を立せ給ふ、此時長政も、御跡より江戸を立て、わざと其勢纔二, 三十騎を引具して上り、四月廿日、京都東福寺の内不二庵に着し逗留し給, 〔長澤聞書〕大坂へ五鬼善鬼も不殘籠居候由、某三不見候、, が、又軍勢をつれ、大坂へ上るべきよし長政ゟ仰遣され、軍兵を卒して上り, 奧守政宗、加藤左馬助嘉明も、同日に京着せらる、忠之は此時筑前に居給し, 黒田家譜〕〓三月、又大坂の和議やぶれ、秀頼ふたゝび亂をおこした, ふ, }, 元和元年四月二十日, 攻の時も、正則、嘉明とおなじく、兩御所御陣の間に備へたまへり, ヽ此時も猶上の御うたがひをさけて、わざと小勢にて上り給ひ、城, ○政宗ハ二十, 一日二着セリ, 元和元年四月二十日, 二七四
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- 攻の時も、正則、嘉明とおなじく、兩御所御陣の間に備へたまへり
- ヽ此時も猶上の御うたがひをさけて、わざと小勢にて上り給ひ、城
- ○政宗ハ二十
- 一日二着セリ
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- 元和元年四月二十日
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- 二七四
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