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に、出雲は父, 一戰には討死と覺悟し、我と共に死なんとおもふ者は起請文をかけとい, とて起請文をかをたり、小野勘解由一人は、士の軍に出んに、命を全ふして, も追々にまゐりしかば、惣軍大坂へ押寄すべしとの御觸あり、これにより, 大坂夏御陣、又本多出雲守相備, に從ひて太田喜を打立たり、扨大神君御親子都に着のせ給ひ、國々の軍勢, 伐として御出馬あるべき旨、大田喜へ仰下されたり、然るに大坂去冬の軍, ひしかば、加藤忠左衞門、大屋作左衞門、藤平治右衞門臼杵七兵衞等、承り候, 竹田より押出し、いづれも河内路のして向ひたり、, 歸らんとおもふ者哉候、珍重なる起請文やとあさ笑ひて筆をとらず、忠朝, 元和元年乙卯四月廿六日、河内口の一の先陣藤堂高虎は、淀を立て同國砂, 村に陣取たり、二の先陣井伊直孝は、伏見より押出す、榊原康勝、本多忠朝は, 釆女正長重, におとりし者哉と仰ありしを、忠朝口惜くおもひ、今度の, 被仰付、御供仕候、, 譜牒餘録, 先公實録, シ、, 元和元年四月二十五日, 淺野内匠頭, ○忠, ○中, 四十九, 十月二十三日、秀忠江戸ヲ發セシ條二見エタリ、參看スベ, 二十二, ○冬陣ノトキ、長重、本多忠朝ノ相備タリシコト、慶長十九, 勝, 略, 大桂院殿御事蹟稿二, 知桂院殿御事蹟稿二大坂夏陣, 忠朝戰死, ヲ覺悟ス, 淺野長重, 元和元年四月二十五日, 三二〇
割注
- 淺野内匠頭
- ○忠
- ○中
- 四十九
- 十月二十三日、秀忠江戸ヲ發セシ條二見エタリ、參看スベ
- 二十二
- ○冬陣ノトキ、長重、本多忠朝ノ相備タリシコト、慶長十九
- 勝
- 略
- 大桂院殿御事蹟稿二
- 知桂院殿御事蹟稿二大坂夏陣
頭注
- 忠朝戰死
- ヲ覺悟ス
- 淺野長重
柱
- 元和元年四月二十五日
ノンブル
- 三二〇
注記 (35)
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