『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.689

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來殊之外かせき、首數角南え差上ケ候由, 山治太夫、沼孫左衞門乘續き、是等も高名仕候、馬塲七右衞門其外桑山家, 付、川を越んと致候、後藤か胴勢七八百騎、川の向に扣候を、桑山見被申、旗, も能候間、兎角一合戰可仕と申候、水野日向被申候は、毛利豐前、大野修理組, 頭の儀にて候間、水野日州と申合、川を越可然とて、川端より引返し候へ, 乞にて候と、左衞門佐え詞をかけ、向乃岸へ乘上、川岸にて早高名仕候、桑, 濟也、此時桑山内足立三太夫は主の左衞門佐と唯二騎、石川の端まて乘, 明寺にての高名は追討と御吟味極り候、桑山手首數いつれも川より西, り東堤ゟ猶東にて候、其品は鑓付首を取候處を、水野日向内某、大坂方か, 申候、此者慥に證人に立候故、川より東の高名に御座候旨達上聞、御前相, と存知、鑓を〓掛申候、吉村、桑山左衞門佐手ノ者と名乘候へは、日向者退, 其時政宗は、小性二三騎にて伊勢組の中え乘込候、監物、織部、時日も能場所, 郎、坂部三十郎を以て御吟味、石川より東にての高名は第一川より西道, にて候故、身躰果可申との取沙汰有之、されとも吉村次郎九郎高名川よ, は、足立三太夫我等は參候とて、川え四五間乘込、跡を見返し、今生の御暇, 元和元年五月六日, 六八九

  • 元和元年五月六日

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  • 六八九

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