『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.739

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る、誠に血氣の勇者なり、日向守殿も目前に是を見給ふ事なれき、口惜くや, 思はれけん、火出る程戰ひて、其身も數十ケ所疵を被り、本陣さして引退々, か、後を急度見返りて日向守殿に申々るは、今生に於て主君の對面是迄也, る、かくて義太夫か討死の勇なるをいと不便に思はれて、戰塲へ死骸を取, を拔しらめたる其中へ、万死一生おもかへり見すかけ入らんと仕たりし, 申たるは、適敵と討死して御目に懸へしと、勇み進んて待かけたり、物間既, なりたれ共物ともせす、混々と鎗を付ケ、終に一命を戰塲の露とそ消に, に近付ケは、日向守殿も鎗を取て立れたり、義太夫も鎗を横たへ、敵の兵具, 我に暇を賜れと聊臆したる氣色もなく敵陣へ〓て入る、元より敵は多勢, りて、日向守殿の本陣さして懸りける、御内の廣田義太夫、日向守殿に向て, に遣し尋求められたるに、數多の鎗疵にて五躰も朱に成りたれは、目も當, リト也、何〓モ身先ツトメテ、人是ニシタガフハ、先ンジ勞スト云古人ノ戒, せられたりしに、晩景に及んて、敵の多少は知らね共、一群まつしくらに成, 二モアヘルヿナリト云ベシ、, 〔藝苑録〕五大坂陣慶長十九年五月七日、水野日向守殿道明寺口ヘ出張, 義太夫, 水野勝成, ノ臣廣田, 元和元年五月六日, 七三九

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  • 義太夫
  • 水野勝成
  • ノ臣廣田

  • 元和元年五月六日

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  • 七三九

注記 (20)

  • 619,641,67,2210る、誠に血氣の勇者なり、日向守殿も目前に是を見給ふ事なれき、口惜くや
  • 504,635,62,2213思はれけん、火出る程戰ひて、其身も數十ケ所疵を被り、本陣さして引退々
  • 969,645,70,2218か、後を急度見返りて日向守殿に申々るは、今生に於て主君の對面是迄也
  • 386,646,66,2208る、かくて義太夫か討死の勇なるをいと不便に思はれて、戰塲へ死骸を取
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  • 1324,639,68,2221申たるは、適敵と討死して御目に懸へしと、勇み進んて待かけたり、物間既
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