『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.988

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き、汝か弟成次、大坂の戰場におゐて、其武勇抜群にして、三十にもたらず, 戰死すよ事まことにおしむべし、もしかれ命を全せば、たとひ疵をかう, 台徳院殿江戸より駿府へ渡御の時に、一日重成を西丸にめして仰きた, ゝんて鑓をあわせ討死す、二十八歳、法名凉英、其後大權現御不例により、, まつ藤堂高虎、井伊直孝か陣所にいたるのとこ海、直孝かいはく、敵急に八, いたな、敵をみて何そかへるへしと、直孝かいはく、御出馬は大事なり、汝こ, 浮、諸軍につけよとの仰を蒙り、久貝忠左衞門正俊とゝもに大和路を發し、, ぬり、手足かなはずとも一族の美目たるべし、重成命のかたじけなき事, まいりて言上すへしとなり、正次答て、いま敵襲ひ來な、我幸にしてこゝに, てまつり、五月六日、兩御所御陣を星田須那の兩所にすへたまふへ文のむ, 酒井雅樂頭忠世、土井大炊頭利勝御前にありて同じく是を稱す、, 元和元年の役にもしたかひ壹, 尾久法寺に出張せるにより、御出馬あるへきのむ手、すみやかに御陣營に, 高木正次, をさ〓さなき、小事にして匹夫の勇なり、何そ功とすなにたらむ、すみや, 〔寛政重修諸家譜〕, を拜す、直孝も又御前に候して、なを成次か武勇を心かけし事を申す、時, 元和元年五月六日, 筑後, 三百, 十九, 守、, 高木正次, 井伊直孝, 秀忠主水, ノ陣ニ使, ノ死ヲ惜, 九八八

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  • 筑後
  • 三百
  • 十九
  • 守、

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  • 高木正次
  • 井伊直孝
  • 秀忠主水
  • ノ陣ニ使
  • ノ死ヲ惜

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  • 九八八

注記 (28)

  • 1594,730,65,2140き、汝か弟成次、大坂の戰場におゐて、其武勇抜群にして、三十にもたらず
  • 1473,729,68,2142戰死すよ事まことにおしむべし、もしかれ命を全せば、たとひ疵をかう
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