『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.49

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物語り、扨此事蹟を本多家にて誰も知る人なのるべし、彼の御内人に出, いつとなく親しく成て、旅亭の徒然に、玄孝故郷のことをとはずがたり, になしたりたり、治兵衞聞て、けあれば御身は本多家より出給ひし人か, り逢ひたるもの〓るのな、こと永くとも聞給へ、亡父にて候治兵衞は、大, 坂御陳の時、故雲州公へ水を奉りし者なりとて、其時のことゞも落みく, し、壯年にて身まかりたり、其子人と成しに、足の病有て武士になりがた, と問ふ、の〓りと答しかば、山村手を拍て大に喜び、さて〳〵不思儀に廻, 逢て語置度ものなれども、片田舍に住む吾なれば、思ふにまかせぬこと, 州は通らるかと尋ねしとぞ、此物語につきては深きゆへよしあり、そは, 國有馬の温泉へ赴しに、加賀國金澤の家士山村治兵衞と云者に出逢ひ、, し、因て醫師の修行して、名を玄孝とぞ申たる、後に因幡國鳥取の城主松, 平相模守光仲に仕へて、禄五百石に二十人扶持食しぬ、玄孝ある年攝津, く乘切て後影たにみえざりたり、然るに忠朝が家士打連々々駈來り、雲, かくと利常に云、前田下知して、それ止めよと追々に人を出しゝに、早遠, 能登守忠義の家士に中根平左衞門といふ者ありしが、幼少しる子を殘, 元和元年五月七日, 元和元年五月七日, 四九

  • 元和元年五月七日

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  • 四九

注記 (18)

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  • 1002,707,59,2134いつとなく親しく成て、旅亭の徒然に、玄孝故郷のことをとはずがたり
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