『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.141

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田乃中へ埋置、其所に有たる古き障子骨を印にさして置、晩に成りて、重綱, ニ、重綱申付候に依て、新井も心得て、天王寺近所地獄谷といふ所の下たの, る故、手を離れ、如何はせんと思ひたる處に、側に在〓ふ重綱か侍細井彌左, きやうの若武者也、時重綱鑓をなげつきにしたりけれは、其鑓〓捨にした, 衞門といふものに其首を揚させて、重綱今日の功名と高らかに呼はりた, 重綱は、長茂より傳りたる吉相の朱具足に、かふろの甲、立物は白鷺のほろ, て、秀頼の城兵五人と、重綱鎗を合せ〓合、其敵を追拂候内に、白母衣の武者, 一人殘り、鎗を合せて責戰ふ、是は秀頼の使番都筑丈右衞門直照とて、く〓, 毛ををぶ〓かに立て、侍二十騎士卒三百計にて打出たり、天王寺表合戰始, 衞門と言者、蕪の紋我か持し鑓を重綱へ、是兼てさめしたる鑓なりと云て, り、其首合戰の中なれは、實見まては向の田の中へ埋置、晩に取に參り候樣, り、爰かしこにて相戰ふ中に、天王寺ゟ四五丁南庚申堂とり片下り成所に, 差出したれは、直にその鑓おつ取て、かの丈右衞門を〓伏せ、卒士新井勘右, 重綱, 七日、大坂御陣之時、重綱て、酒井左衞門尉か組に仰を蒙りて御供申たり、扨, 〔長綱記〕稻垣長茂嫡子平右衞門尉, 元和元乙卯年五月, 後任攝, 後重, 津守、, 種、, 直照ヲ討, 重綱都筑, 近ニ戰フ, 庚申堂附, 元和元年五月七日, 一四一

割注

  • 後任攝
  • 後重
  • 津守、
  • 種、

頭注

  • 直照ヲ討
  • 重綱都筑
  • 近ニ戰フ
  • 庚申堂附

  • 元和元年五月七日

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  • 一四一

注記 (27)

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