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人鑓手負たるもの五人有之と云々、, す、正根付四郎兵衞といふ者、騎兵是を持て、石〓につゝき城中に立しかは、, 味かた興を合て石川乘入一番合戰を催、時に敵七八人〓蒐り、鑓四本にて, 立る也、敵よりきびしく〓炮うち懸、白齒もの共多く手負死す、午の刻に敵, 候か、從本御陣御觸有、道明寺表へ參りしか、もはや敵引取ゆへ、直に天王寺, ろ、遠州久野の城主たりしか、加兵衞元綱の子にて、當時壹万六千石の高に, 豆州、淺野釆女正、秋田、植村と相備なり、御目付として須賀攝津守、是も人數, て、大坂夏御陣の節者、騎兵三十餘にて出勢す、備頭は本多出雲守にて、眞田, を召連、五月六日の晩、飯森に陣とりし處に、敵道明寺へ出る故、加勢に可參, 石川はやく乘入旨其かくれなかりし、松下手へ首數十七とり、味方死人七, 〓上しかとも打拂すて、敵壹人切伏馬にはなれ、歩行にて城中へ心かけ進, みたる處、梶塚主殿といふ臣士馳付て馬をさつく、時に馬印持方して進ま, 表へ至り、七日卯の刻に茶臼山右之かたに、組中ゟ十間計も張出して備を, ○以下榊原康勝組ノ事ニ係ル、, 松下家の説に、常州小張の城主松下石見守き、天文の〓, 續武家閑談〕〓松下家の説に、常州小張の城主松下石見守き、天文の〓, 元和元年五月七日, 續武家閑談〕, 榊原康勝, 家臣ノ働, 組, 松下重綱, 元和元年五月七日, 七七三
頭注
- 榊原康勝
- 家臣ノ働
- 組
- 松下重綱
柱
- 元和元年五月七日
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- 七七三
注記 (24)
- 427,636,57,1075人鑓手負たるもの五人有之と云々、
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