『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.81

Loading…

要素

割注頭注キャプションノンブル

OCR テキスト

目次郎左衞門、こゝは御討死の場に候はす、早御退被成候得と申て、御馬の口を濱松の方, 〔寛政重修諸家譜〓, へひきむけ、鑓おつとり、御馬のさんすをたゝみかけてたゝきけれは、御馬かけいてゝ、, 廻り殘り少く討れけれは、權現樣にも御討死の御覺悟被成、御馬を引返さセられし時、夏, 敵遠さかりぬ、次郎左衞門蹈とまり、敵の多勢にとりまかれ、鎗の柄のおるゝ程戰て討死, 次忠大權現につかへたてまつり、三方原にをひて討死、, 吉信の忠死をあはれませ給ひ、三河國額田郡山中法藏寺に石碑を立しめたまひ、信譽徹忠, 法名行譽、そのゝち東照宮, 度々取て返す武者ふり、敵の大將權現樣の事、そ、追詰て討取れとて、急に追掛たり、御馬, しけり、, と號し、月拜を命せらる、妻は松下石見守之綱か女、, 〔寛永諸家系圖傳〕甲四平井, 夏目吉信, 友次, 次忠, 三百四, 十八, 與三右衞門、, 國同前、, ○中略、寛永諸家, 國同前、, 系圖傳ト略同ジ、, 生國三河, 家康吉信ノ, 爲ニ石碑ヲ, 建ツ, 平井次忠, 家系, 與三右衞門、, 元龜三年十二月二十二日, 八一

割注

  • 三百四
  • 十八
  • 與三右衞門、
  • 國同前、
  • ○中略、寛永諸家
  • 系圖傳ト略同ジ、
  • 生國三河

頭注

  • 家康吉信ノ
  • 爲ニ石碑ヲ
  • 建ツ
  • 平井次忠
  • 家系

キャプション

  • 與三右衞門、

  • 元龜三年十二月二十二日

ノンブル

  • 八一

注記 (31)

  • 1578,613,60,2288目次郎左衞門、こゝは御討死の場に候はす、早御退被成候得と申て、御馬の口を濱松の方
  • 1127,605,74,555〔寛政重修諸家譜〓
  • 1461,621,60,2240へひきむけ、鑓おつとり、御馬のさんすをたゝみかけてたゝきけれは、御馬かけいてゝ、
  • 1694,612,61,2289廻り殘り少く討れけれは、權現樣にも御討死の御覺悟被成、御馬を引返さセられし時、夏
  • 1344,607,60,2292敵遠さかりぬ、次郎左衞門蹈とまり、敵の多勢にとりまかれ、鎗の柄のおるゝ程戰て討死
  • 301,600,57,1443次忠大權現につかへたてまつり、三方原にをひて討死、
  • 1027,601,59,2291吉信の忠死をあはれませ給ひ、三河國額田郡山中法藏寺に石碑を立しめたまひ、信譽徹忠
  • 1139,2216,56,684法名行譽、そのゝち東照宮
  • 1810,614,60,2283度々取て返す武者ふり、敵の大將權現樣の事、そ、追詰て討取れとて、急に追掛たり、御馬
  • 1254,610,48,183しけり、
  • 910,601,57,1338と號し、月拜を命せらる、妻は松下石見守之綱か女、
  • 781,599,84,888〔寛永諸家系圖傳〕甲四平井
  • 1138,1416,53,227夏目吉信
  • 667,603,54,107友次
  • 544,638,55,110次忠
  • 1164,1231,43,118三百四
  • 1120,1229,39,77十八
  • 708,732,44,228與三右衞門、
  • 389,767,43,144國同前、
  • 1168,1853,41,339○中略、寛永諸家
  • 510,769,40,140國同前、
  • 1122,1848,41,313系圖傳ト略同ジ、
  • 640,732,44,181生國三河
  • 1044,227,40,210家康吉信ノ
  • 999,226,41,211爲ニ石碑ヲ
  • 954,224,41,79建ツ
  • 821,227,43,169平井次忠
  • 673,225,42,81家系
  • 707,732,43,227與三右衞門、
  • 199,712,47,476元龜三年十二月二十二日
  • 205,2460,42,62八一

類似アイテム