『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.316

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

右の仕合は、れき〳〵見られ候かたも可有御座候、其後の證人、彼御はた, の、拙者に〓ばをかけ、茂兵衞と申ものニて御座候、御はた大將みな御討, 候樣に可申上などゝ、ちからをつけ申候へば、御はたのこがしら仕候も, 者にて候、御目にけに參候、助七殿、九右衞門殿一段見事に候間、其通殿樣, こがしら仕候茂兵衞、又中野助七殿、同内衆四五人ゑんてい覺可被申候, 所へ、跡ゟ御かち衆被參、拙者ニ〓ばをかけ、田村八左衞門と申御かちの, 死、其上〓〳〵く御にげ候間不及力、是迄まいり候、後の證人に頼申候、御, とて拙者と同所ニ御入、一段樣子よく〓ばなども御座候キ、左樣に申候, はしく見え申候條、そのまゝ御先へ參、をそく御さ候へ共、一人うち申候、, はたもとのかたより、中野助七殿被參候間、拙者〓ばをかけ申候へば、尤, 被申候、とかく仕候内に、御先手もりかへし申候とみえ申候間、右之仕合, はたたてさせ申候と申候て、北南へくづれなりにたてさせ申候所へ、御, 猶以御直に可申上と存、すぢかひに御はた本へ參候へとも、さきいそか, へ可申上とて、其まゝ被罷歸、其後又被參、たしかに兩人之儀言上仕候由, 元和元年五月七日, 九年十二月四日ノ戰ニ係, ○中略、本月六日及ビ慶長十, 九年十二月四日ノ戰ニ係, 元和元年五月七日, 三一六

割注

  • ○中略、本月六日及ビ慶長十
  • 九年十二月四日ノ戰ニ係

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 三一六

注記 (20)

  • 392,735,67,2139右の仕合は、れき〳〵見られ候かたも可有御座候、其後の證人、彼御はた
  • 1667,738,68,2134の、拙者に〓ばをかけ、茂兵衞と申ものニて御座候、御はた大將みな御討
  • 1784,732,65,2136候樣に可申上などゝ、ちからをつけ申候へば、御はたのこがしら仕候も
  • 970,732,73,2147者にて候、御目にけに參候、助七殿、九右衞門殿一段見事に候間、其通殿樣
  • 279,743,66,2140こがしら仕候茂兵衞、又中野助七殿、同内衆四五人ゑんてい覺可被申候
  • 1085,731,70,2134所へ、跡ゟ御かち衆被參、拙者ニ〓ばをかけ、田村八左衞門と申御かちの
  • 1550,732,70,2145死、其上〓〳〵く御にげ候間不及力、是迄まいり候、後の證人に頼申候、御
  • 1203,737,70,2137とて拙者と同所ニ御入、一段樣子よく〓ばなども御座候キ、左樣に申候
  • 511,748,66,2140はしく見え申候條、そのまゝ御先へ參、をそく御さ候へ共、一人うち申候、
  • 1323,738,64,2139はたもとのかたより、中野助七殿被參候間、拙者〓ばをかけ申候へば、尤
  • 739,733,67,2139被申候、とかく仕候内に、御先手もりかへし申候とみえ申候間、右之仕合
  • 1437,735,65,2141はたたてさせ申候と申候て、北南へくづれなりにたてさせ申候所へ、御
  • 622,731,68,2138猶以御直に可申上と存、すぢかひに御はた本へ參候へとも、さきいそか
  • 855,748,69,2128へ可申上とて、其まゝ被罷歸、其後又被參、たしかに兩人之儀言上仕候由
  • 1898,737,43,334元和元年五月七日
  • 142,745,46,767九年十二月四日ノ戰ニ係
  • 185,744,48,831○中略、本月六日及ビ慶長十
  • 142,747,46,756九年十二月四日ノ戰ニ係
  • 1898,737,43,334元和元年五月七日
  • 1909,2460,42,123三一六

類似アイテム