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なり、, を打合候事頻ニ成申候、出雲ざいを振り、日來の稽古此時なり、小性とも迄, 先へ出張、〓炮をうてとて、先へ出す、我も〳〵、と〓炮を提〳〵先へ出る、中, 前の大守に封し越前宰相殿と號す、唯今の光通の御賢父也、二騎ハ豐嶋, 組一つに成て、出雲備へ逃懸る、豐前人數は二つニ分れ、出雲か人數の左右, へ出る、〓炮一ツ二ツ打込候と均く、毛利豐前とつと興を上懸り候、三宅軍, 主膳、城和泉、是は大御所ゟ御目付也、殘二騎は名を聞しか失念せしなり、, 衞門、原田四郎兵衞、榊原加兵衞諸並を離て進出、鑓を直し、一鑓仕候はんと, 城和泉は串なしのむかし母衣を懸たるよし、畠山義眞入道の物かたり, にも窪田傳十郎は斷を云て、朱挑灯の差物をさし、三宅軍兵衞と一所に先, 輕被追立、七十餘人將棊倒ニ打れ、殘る足輕其外〓炮うたんと出たる小性, より懸り候、左の備脇にて、窪田傳十郎、大原惣右衞門、押田左馬允、山本只右, 兵衞眞先ニ出、はや能首取て指上る、是一番首なり、出雲守先へ張出し候足, 出雲守と毛利豐前守と互ニ近く押詰、兩方折しき候、出雲下知して、早〓炮, 名乘かけ候時、小鹿主馬之介紫の母衣懸河原毛の馬に乘、ざいを振て、若武, 元和元年五月七日, 勝永ト戰, 忠朝毛利, 元和元年五月七日, 六二四
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- 勝永ト戰
- 忠朝毛利
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- 元和元年五月七日
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- 六二四
注記 (20)
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