『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.757

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御味方はまはら懸に御座候よし、, 捨て、敵の中へ駈入、鑓にて敵數人を〓落、小野勘ケ由眞すく知敵陣にかけ, 松平丹波守康重使を以て救と言送る、忠朝聞て、某死後には兎も角もと言, 軍記にき、本多出雲守忠朝は兼ふ死を心懸、深く進て森豐前守か兵と戰ひ、, 終に御討死被遊候よし、其節御家來小野勘ケ由、出雲守樣より少し御先に, 勇將力は人にすくれたり、上總の領地を出る時、〓の棒下部四人して持な, 討死仕候、大屋作左衞門き、忠朝樣御死骸にくみ付討死仕罷在候よし、大坂, 城兵を〓崩し、天王寺南門に至て、森か兵も命を捨て責戰ふ、忠朝は無双の, 然とも出雲守樣御勇力御座候剛將にて被成御座候故、人馬共〓ちらされ、, と相見へ申候由、小幡勘兵衞殿書物聞書御座候、, 後にき御馬も乘はなし被成、御はたらき被遊候へ共、敵大勢にて取りこみ, まはら懸りにか第入候故、後にき出雲守樣御壹人の樣に御討死被成たる, 此時酒井宮内殿明勢合戰仕、押大皷の打樣存不申候付、出雲守樣御人數迄, 以て、敵共餘輩と攻合、家人小野勘ケ由、大屋作左衞門左右に有て能働、時に, り、彼棒を以て四方をなく、敵そのいきほひに恐れて近付者なし、其後鑓を, 勘解由, 同大屋作, 家臣小野, 左衞門, ノ救援ヲ, 松平康重, 忠朝戰死, 謝絶ス, 元和元年五月七日, 七五七

頭注

  • 勘解由
  • 同大屋作
  • 家臣小野
  • 左衞門
  • ノ救援ヲ
  • 松平康重
  • 忠朝戰死
  • 謝絶ス

  • 元和元年五月七日

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  • 七五七

注記 (25)

  • 1943,639,59,1009御味方はまはら懸に御座候よし、
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