『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.762

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た漸二歳、我討死の跡にてハ、中々家督相續しかたし、甥甲斐守を聟として、, 元より家を出る時妻子を忘るゝは武士の常とは言なから、此度ハ某一命, て耻辱を得、世上の人にゆひさゝるゝ事口おしき次第なり、既に去冬の御, 杵六兵衞、柳田平兵衞等を先として、何も死を一圖にきわめ、出る時は何も, 申たるは、汝等知ることく、是まて度々將軍家の御氣色を蒙り、諸士の中に, 妻子へ水蓋をして出陣したる、出雲守忠朝は、家老澤津杢之助をまねきて, はまさにおもひ切てのるなれは、汝にとくと遺言するれり、忰政勝ハいま, 大多喜五万石を納め申へし、汝はまた政勝に附添て、彼か成人を見とゝけ, 意を失ふ處に、當年再亂のおこる事、忠朝にとつてハいか計かよろこはし, 政勝國家を治る年來にもいたりなは、甲斐守か跡目をにかせ、我か血肉連, ハ此度こそ死を決せんとよろこひて、やかて出陣ある、馬前へは例の金さ, ひ棒を拾四人に持せ、相したかふ面々には、匂坂内記、山口主水、石川半彌、臼, 陣に討死して、耻辱を雪かんとおもひしに、はからいも御和睦となりて本, 發有之によつて、相かはらす本多出雲守忠朝をして先鋒を命せらる、忠朝, 綿とするやうに、ひとへに頼入處なり、其爲此度は汝を國に殘し置也と言, 忠朝ノ鐵, 杢之助二, 棒, 家老澤津, 遺言ス, 元和元年五月七日, 七六二

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  • 忠朝ノ鐵
  • 杢之助二
  • 家老澤津
  • 遺言ス

  • 元和元年五月七日

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  • 七六二

注記 (22)

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