『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.917

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家に成かたくて桑門とみりたりといふ、, 左衞門殿舅也、大谷此事を聞く、左衞門殿の見廻給ひし折柄、來國俊の二尺, れは、一圓きれさる故、何となく氣味あしく被思召なと也、大谷刑部少輔は, たるを見たり、竹ともひしと臥て居たりと也、, れたる跡を見しに、逃る勢ひほとつよききなきもの也、竹藪をおしたふし, となり、, 事あり、刀脇指すへ物一圓きれに、隨分能切る刀ニても、左衞門殿所持とな, 右の光明院物語には、大坂陣き十九歳の時也、藤堂の人數長曾我部に追は, 院也、是は眞田左衞門が落胤との事也、しかれとも眞田がわつはなりと云, 樋口四角兵衞と云者あり、日本ニ三人とは有まし, 此家に來り、左衞門殿ニ仕たる、左衞門佐殿は名譽の勇士なれ共、不思儀の, らすと幸村申置、重綱公の陣乃前へ押し出したるならんと皆いへりける, 説も有、百八歳にく死去也、甲陽軍鑑をは疑有とて用ひすとなり、眞田故武, 〔異説區々〕挿光明院派と云て、眞田流といへる軍學の元祖す、糀町光明, きたはけ者也、甲〓武田勝頼公の御抱守樋口下總か三男也、甲〓沒落の後、, 〔取捨録, ○先公實録, 五十九所收, 逃ル, 來國俊ノ, 眞田流軍, 押仆シテ, テ竹藪ヲ, 大谷吉隆, 幸村ノ家, 角兵衞, 刀ヲ幸村, 曾我部隊, 臣樋口四, 二追ハレ, 藤堂勢長, 二贈ル, 學, 元和元年五月七日, 九一七

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  • ○先公實録
  • 五十九所收

頭注

  • 逃ル
  • 來國俊ノ
  • 眞田流軍
  • 押仆シテ
  • テ竹藪ヲ
  • 大谷吉隆
  • 幸村ノ家
  • 角兵衞
  • 刀ヲ幸村
  • 曾我部隊
  • 臣樋口四
  • 二追ハレ
  • 藤堂勢長
  • 二贈ル

  • 元和元年五月七日

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  • 九一七

注記 (35)

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