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も渡邊代々のよしこを思ひ、彼女の忠を感し、金子をあたへしか、漸々彼子, を請出し、洛陽に潛り居て、後にきかの子を南禪寺の僧となす、十八歳の時、, 後家前田了心母乃素心尼を以、清揚大君, 也、今は誰をか頼に露命をなからへ侍らんやとて、忽立なから腹を切たな, 方ヨリ煙リ出ケルニ、段々ト煙リツヨク立登リシ故、大坂中ノ者共追々見, は、秀頼の御行衞いかにもして御命計も安全にはからひ給へ、時を待んと, 仕へ畢ぬ、是近きこ海の渡邊權兵衞か父也、其娘き米倉丹後守に嫁、内藏介, よし、彼家の正説疑ひなし、討死と言き、定て内藏介ニ似たな首あるゆへに, る、彼女右乃子を質に殘し、渡邊の郷に往て、百姓共に頼みけれは、土民とも, て、大野に暇乞し、近江の國へ落行、暫休息せしか、秀頼も御自害と聞へしと, 極の内藏助子なればとて、五百石を賜り、輕卒の頭と成て、長くかの御家に, か、免角して事ゆかず、夫より數ケ年を經て、終に甲府へ被召抱、誠に武功至, へ仕へしめんと願ひける, 一門の細川越州一柳土州なとの還俗させ、是も由緒有ゆへ、牧野兵部太輔, 夫を名付る歟、, 大坂ニテ、秀頼籠城ニ及ヒケル前方、天守ノ五重目ノ兩, 〔明良洪範〕, 明良洪範〕二十大坂ニテ、秀頼籠城ニ及ヒケル前方、天守ノ五重目ノ兩, 綱重, ○徳川, 二十, トナリ後, 入リテ僧, 還俗シテ, 糺近江ニ, 南禪寺ニ, 道レタリ, 徳川綱重, 天守ノ怪, トノ説, ニ仕フ, 元和元年五月七日, 九六一
割注
- 綱重
- ○徳川
- 二十
頭注
- トナリ後
- 入リテ僧
- 還俗シテ
- 糺近江ニ
- 南禪寺ニ
- 道レタリ
- 徳川綱重
- 天守ノ怪
- トノ説
- ニ仕フ
柱
- 元和元年五月七日
ノンブル
- 九六一
注記 (33)
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