『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.102

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たりき, に依て定められたる時期まで、該地方をさまよひたり、, 見しのみなりき、其後數日間激しき病に罹りしが、遂に長崎に渡れり、後に, 至りて彼は長老の職務を果たさん爲め、再び上に來り、堺に根據を定め、而, しめて、避難所に導けり、彼は間もなく堺に赴きしが、たゞ荒凉たる廢墟を, の未信者にも洗禮を施せり、曉に及びて彼は野に逃れしが、衣服は〓がれ, パードレ・ポルロは、火災の最も烈しき間に、基督教徒の懺悔を聽き、尚一人, たり、政宗はパードレ若し基督教徒たらざりしならば、すべての便宜を計, 軍中を通過して、政宗の陣營に達し、室津に赴かんため、此君の保護を求め, らんと答へたり、同パードレは、人の子の名の爲めに斯く迫害せられ、神意, 或記者は云へり、此戰役の結果を宗教的見地より論ぜば、秀頼の失敗は、彼, て、たゞ襤褸の短衣を殘せしのみなりき、彼は殆んど奇蹟により、内府樣の, して千六百十九年、上長の命にて長崎に召喚せらるゝまで、此の地に住し, の頑固なる迷信に因るものにして、毫も悲むに足らず、實に此の君と其母, とは、日々社寺の建立を事とし、行列及び偶像教の儀式の爲めに、莫大の金, ○中, 略, 秀頼ノ失, 敗ニ對ス, ル耶蘇教, 徒ノ解釋, ぼるろ, 元和元年五月八日, 一〇二

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  • ○中

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  • 秀頼ノ失
  • 敗ニ對ス
  • ル耶蘇教
  • 徒ノ解釋
  • ぼるろ

  • 元和元年五月八日

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  • 一〇二

注記 (24)

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