『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.153

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

られ、是を以て三の深き濠を〓めたり、完全に殘りたるは第三の周壁のみ, 況は總ての思慮ある人々の〓を以て眺めたる所なりき、此悲慘なる破壤, 目隱を除き、古狐の詐僞を認めしは、頗る遲かりしが、直に人を集むること, の終りたる後、將軍は將卒を率ゐ、伏見を經て居城なる江戸に歸れり、而し, 公然人數を増加し、啻に平凡の人々のみならず、頗る著名なる大頭を誘ひ, にして、是は恰も市の襦袢の如く、其内には秀頼竝に其部下居住せり、此状, に於て敗られたる三人の後見の子の如き是なり、終には秀頼は其摩下に, 十七萬の戰士を得たり、或は更に多かりしと云ふ、此内一部は市内に居住, に著手せり、初め數日間は、密に之を爲せしが、後多數の人を得るに及んで、, 及び士分少からざりき、秀頼方の死せるものは、約二百人にして、其内士分, たり、豐後の善き王フランシスコの子、右近殿の子并に曩に内府との戰爭, て内府方の死者を調査し、四萬人の損害を發見せり、此内には司令官大名, 内府は少年の降伏することを求め、百方手を盡したり、秀頼等が其眼より, は四人に過ぎざりき、此思慮乏しき平和を樂しみしは數月に過ぎず、此間, れ、啻に第一の城壁のみならず、第二の城壁と共に胸壁稜堡も忽ち破壤せ, 秀頼再ビ, 兩軍ノ死, 秀忠東歸, 擧兵ヲ計, 傷, ス, 元和元年五月八日, 一五三

頭注

  • 秀頼再ビ
  • 兩軍ノ死
  • 秀忠東歸
  • 擧兵ヲ計

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 一五三

注記 (23)

  • 1805,649,76,2213られ、是を以て三の深き濠を〓めたり、完全に殘りたるは第三の周壁のみ
  • 1571,639,76,2230況は總ての思慮ある人々の〓を以て眺めたる所なりき、此悲慘なる破壤
  • 869,634,74,2224目隱を除き、古狐の詐僞を認めしは、頗る遲かりしが、直に人を集むること
  • 1458,648,71,2217の終りたる後、將軍は將卒を率ゐ、伏見を經て居城なる江戸に歸れり、而し
  • 633,630,74,2224公然人數を増加し、啻に平凡の人々のみならず、頗る著名なる大頭を誘ひ
  • 1689,649,73,2221にして、是は恰も市の襦袢の如く、其内には秀頼竝に其部下居住せり、此状
  • 399,634,71,2220に於て敗られたる三人の後見の子の如き是なり、終には秀頼は其摩下に
  • 282,627,71,2229十七萬の戰士を得たり、或は更に多かりしと云ふ、此内一部は市内に居住
  • 750,638,72,2234に著手せり、初め數日間は、密に之を爲せしが、後多數の人を得るに及んで、
  • 1219,636,73,2228及び士分少からざりき、秀頼方の死せるものは、約二百人にして、其内士分
  • 515,640,73,2219たり、豐後の善き王フランシスコの子、右近殿の子并に曩に内府との戰爭
  • 1336,643,75,2225て内府方の死者を調査し、四萬人の損害を發見せり、此内には司令官大名
  • 986,637,72,2225内府は少年の降伏することを求め、百方手を盡したり、秀頼等が其眼より
  • 1102,640,72,2228は四人に過ぎざりき、此思慮乏しき平和を樂しみしは數月に過ぎず、此間
  • 1923,653,74,2208れ、啻に第一の城壁のみならず、第二の城壁と共に胸壁稜堡も忽ち破壤せ
  • 816,257,42,165秀頼再ビ
  • 1388,262,43,175兩軍ノ死
  • 1506,264,43,173秀忠東歸
  • 772,257,42,171擧兵ヲ計
  • 1345,261,40,45
  • 1468,269,30,28
  • 193,696,45,339元和元年五月八日
  • 179,2444,47,111一五三

類似アイテム