『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.159

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は戰鬪を開始せり、先頭には眞田及び他の一司令官森の豐前あり、言ふべ, り出る勇氣なかりしなり)が如く、其旗を樹てたる大なる軍隊の司令官た, 共に正午迄陣營に留り、過ぎし苦鬪の疲勞を醫し、來らんとする戰鬪の爲, りし大野修理は、秀頼を迎へ城を出でゝ光榮ある死を遂ぐるか、或は其考, も失望に陷り、日本の風に依り、其腹を切らんとせし由確なる事として傳, 華は一隊に集めたり、大坂方は敵の術策に氣付かず、各所に於て攻撃軍に, に分ち、各方面より市を攻撃せんとする状を示したり、然れども軍隊の精, へらる、然れども秀頼の軍少しく氣を弛めたるが爲め、戰の運は忽ち轉ず, 對抗せんが爲め、其兵を數隊に分ち、正午を過ぐること二時間にして、兩軍, め、勢力の恢復を計れり、内府は軍事の經驗ある司令官なれば、其兵を數隊, るを認めて切腹を中止したり、此時に當り秀頼自ら陣頭に在りし(但城よ, 敗退し、其部下の多く列を亂して逃ぐるを見、退却の準備を爲し、自ら敗走, 督教徒ありき、明石掃部も亦長銃創を蒙り、戰場より退却せり、翌日は兩軍, 者の後を追はんとせしこと數囘なりしが、常に引き止められたり、又内府, からざる勇氣を以て戰ひ、三四囘激しく敵を攻撃したれば、將軍は次第に, 奮鬪, 敗ル, 森勝永ノ, 秀忠ノ軍, セントス, 傷ク, 明石掃部, 家康自殺, 東軍敗運, ヲ挽囘ス, 元和元年五月八日, 一五九

頭注

  • 奮鬪
  • 敗ル
  • 森勝永ノ
  • 秀忠ノ軍
  • セントス
  • 傷ク
  • 明石掃部
  • 家康自殺
  • 東軍敗運
  • ヲ挽囘ス

  • 元和元年五月八日

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  • 一五九

注記 (27)

  • 1215,619,72,2212は戰鬪を開始せり、先頭には眞田及び他の一司令官森の豐前あり、言ふべ
  • 396,603,66,2229り出る勇氣なかりしなり)が如く、其旗を樹てたる大なる軍隊の司令官た
  • 1798,621,77,2231共に正午迄陣營に留り、過ぎし苦鬪の疲勞を醫し、來らんとする戰鬪の爲
  • 280,602,66,2233りし大野修理は、秀頼を迎へ城を出でゝ光榮ある死を遂ぐるか、或は其考
  • 746,614,70,2229も失望に陷り、日本の風に依り、其腹を切らんとせし由確なる事として傳
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  • 1563,623,76,2229に分ち、各方面より市を攻撃せんとする状を示したり、然れども軍隊の精
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