『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.97

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

たるものを用ひたり、, ものたるの觀あらしめんとせり、, 至る諸國の商人は續々逃走し、京都にても亦恐慌甚しく、住民は犯すべか, 此の大軍は大坂城に據り、又は城壁の下に陣せり、海岸より近江の湖水に, て、狡猶なる老公は、秀頼を不人望ならしめ、且彼をして先づ平和を破りし, 街道を占領して通路を塞ぎ、彼自身は、五月以來京都の城内に滯在し、又將, 天下を襲はんとすと流言せしめて、盆〻此の恐慌を増長するに努め、斯くし, らざる避難所たる内裏の宮殿に逃るゝもの多かりき、内府樣は自ら秀頼, 此間に内府樣は、京都及び伏見に有力なる守兵を置き、軍隊を以て江戸の, たり, の兵數は、之に比すれば劣りしも、戰爭に慣れたる點に於ては、決して讓ら, 本に於ては、前古未曾有の多數にして又訓練せられたる軍隊なりき、秀頼, 大坂を俯瞰せる高地に到れり、彼の軍勢三十万人に及び、日, 此の大慘害の報を聞くや、内府樣は直に京都を出で大和國を經て、六月一, 軍をして伏見城に居り、部隊を率ゐて來着せる關東の諸侯を糾合せしめ, 日, ○中略、堺ノ燒失ノコトニ係ル、, 四月二十八日ノ條ニ收メタリ、, ○中略、大野治長負傷ノコトニ, 係ル、四月九日ノ條ニ收メタリ、, 五日二當ル, ○我ガ五月, ノ騷擡, 京坂地方, 大坂ヲ圍, 家康秀忠, 元和元年五月八日, 九七

割注

  • ○中略、堺ノ燒失ノコトニ係ル、
  • 四月二十八日ノ條ニ收メタリ、
  • ○中略、大野治長負傷ノコトニ
  • 係ル、四月九日ノ條ニ收メタリ、
  • 五日二當ル
  • ○我ガ五月

頭注

  • ノ騷擡
  • 京坂地方
  • 大坂ヲ圍
  • 家康秀忠

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 九七

注記 (28)

  • 1940,627,52,636たるものを用ひたり、
  • 1237,615,54,1005ものたるの觀あらしめんとせり、
  • 1690,619,71,2218至る諸國の商人は續々逃走し、京都にても亦恐慌甚しく、住民は犯すべか
  • 1806,620,74,2215此の大軍は大坂城に據り、又は城壁の下に陣せり、海岸より近江の湖水に
  • 1342,617,71,2222て、狡猶なる老公は、秀頼を不人望ならしめ、且彼をして先づ平和を破りし
  • 991,605,69,2231街道を占領して通路を塞ぎ、彼自身は、五月以來京都の城内に滯在し、又將
  • 1458,614,71,2223天下を襲はんとすと流言せしめて、盆〻此の恐慌を増長するに努め、斯くし
  • 1572,618,73,2224らざる避難所たる内裏の宮殿に逃るゝもの多かりき、内府樣は自ら秀頼
  • 1107,606,70,2223此間に内府樣は、京都及び伏見に有力なる守兵を置き、軍隊を以て江戸の
  • 777,613,45,126たり
  • 290,611,68,2218の兵數は、之に比すれば劣りしも、戰爭に慣れたる點に於ては、決して讓ら
  • 405,607,70,2223本に於ては、前古未曾有の多數にして又訓練せられたる軍隊なりき、秀頼
  • 522,1029,71,1796大坂を俯瞰せる高地に到れり、彼の軍勢三十万人に及び、日
  • 640,601,68,2209此の大慘害の報を聞くや、内府樣は直に京都を出で大和國を經て、六月一
  • 875,604,66,2219軍をして伏見城に居り、部隊を率ゐて來着せる關東の諸侯を糾合せしめ
  • 552,609,34,44
  • 796,753,45,924○中略、堺ノ燒失ノコトニ係ル、
  • 753,756,44,917四月二十八日ノ條ニ收メタリ、
  • 1257,1636,46,899○中略、大野治長負傷ノコトニ
  • 1211,1635,50,917係ル、四月九日ノ條ニ收メタリ、
  • 523,685,38,322五日二當ル
  • 566,694,41,321○我ガ五月
  • 1693,251,40,121ノ騷擡
  • 1735,245,42,171京坂地方
  • 657,232,41,174大坂ヲ圍
  • 700,232,41,175家康秀忠
  • 198,676,46,339元和元年五月八日
  • 188,2407,46,82九七

類似アイテム