『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.204

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

生と申す、其外伊勢奉幣の目録あり、豐臣某と計書しる由も云傳ふ、又台徳, の舟を寄る所、薩摩の南海濱にして、岸上に嚴重成番所の樣なる所あり、さ, 母して、元禄六七年にもせよ、大坂落城元和元年の年數、落城の節年合て百, れ共海隅なれは、番をする者一兩人のみありて、寥々たる事にて、さのみ何, 元和元己卯年より己亥年に至て八十一年也、, 頼公の御具足とて細工せし註文に叶へり、疑所なく秀頼公き薩州に御存, 息し歸る事故、おのつから知音出來く、舟をかけ烟火なともろふ所あり、そ, 獻上、箱の上に書付は、先右大臣秀頼遺物と書付有之由、元祿八年の春の事, を專ら守る所とも見へす、さる所なれは、阿波の漁人も、常に心安くかたら, ゆへむかしは時々阿波の漁人海上に漁獵して、薩摩へ至り、かしこにて休, 公御代に、嶋津より秀頼隱退之旨被申上之、然る上は、如何とも可取計由被, 才にとゝくほと九十八年か也、長壽と聞へたり、此説能々追而可尋事也、, 仰出由、依之元禄八こ亥年月日、秀頼遺物として、御腰物常憲公へ薩摩より, 秀頼公は文祿二癸巳八月三日生給ふ、元祿八之亥年に至て一百三年なり、, 〔譚海〕十阿波の南海ゟ薩摩へは甚近し、一日に舟の往來成やすし、それ, 綱吉二獻, 物ヲ將軍, 秀頼ノ遺, 薩摩南海, 岸ノ秀頼, 墓, ズ, 元和元年五月八日, 二〇四

頭注

  • 綱吉二獻
  • 物ヲ將軍
  • 秀頼ノ遺
  • 薩摩南海
  • 岸ノ秀頼

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 二〇四

注記 (24)

  • 1670,636,65,2229生と申す、其外伊勢奉幣の目録あり、豐臣某と計書しる由も云傳ふ、又台徳
  • 381,647,67,2216の舟を寄る所、薩摩の南海濱にして、岸上に嚴重成番所の樣なる所あり、さ
  • 1202,637,63,2225母して、元禄六七年にもせよ、大坂落城元和元年の年數、落城の節年合て百
  • 262,645,70,2219れ共海隅なれは、番をする者一兩人のみありて、寥々たる事にて、さのみ何
  • 847,635,73,1373元和元己卯年より己亥年に至て八十一年也、
  • 1786,633,65,2228頼公の御具足とて細工せし註文に叶へり、疑所なく秀頼公き薩州に御存
  • 500,635,63,2231息し歸る事故、おのつから知音出來く、舟をかけ烟火なともろふ所あり、そ
  • 1317,631,64,2234獻上、箱の上に書付は、先右大臣秀頼遺物と書付有之由、元祿八年の春の事
  • 146,644,66,2218を專ら守る所とも見へす、さる所なれは、阿波の漁人も、常に心安くかたら
  • 616,633,64,2240ゆへむかしは時々阿波の漁人海上に漁獵して、薩摩へ至り、かしこにて休
  • 1553,638,66,2224公御代に、嶋津より秀頼隱退之旨被申上之、然る上は、如何とも可取計由被
  • 1087,634,60,2174才にとゝくほと九十八年か也、長壽と聞へたり、此説能々追而可尋事也、
  • 1435,636,68,2227仰出由、依之元禄八こ亥年月日、秀頼遺物として、御腰物常憲公へ薩摩より
  • 966,632,73,2245秀頼公は文祿二癸巳八月三日生給ふ、元祿八之亥年に至て一百三年なり、
  • 707,597,103,2265〔譚海〕十阿波の南海ゟ薩摩へは甚近し、一日に舟の往來成やすし、それ
  • 1274,266,42,174綱吉二獻
  • 1317,268,44,167物ヲ將軍
  • 1363,265,40,174秀頼ノ遺
  • 539,265,43,174薩摩南海
  • 496,266,42,171岸ノ秀頼
  • 450,266,43,41
  • 1235,268,35,33
  • 1900,707,47,338元和元年五月八日
  • 1910,2447,44,120二〇四

類似アイテム