『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.282

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れば爰に略す、, 最賞すべし、長曾我部是に次べし、委は浪速全書に在り、, るゝ、子細は織田三七郎信孝切腹の時の辭世の歌に, 昔より主をうつむの野間なれは報ひを待や羽柴筑前, 城中純粹なる者は、眞田左衞門佐、後藤又兵衞、少ながら木村長門守は頗る, 大坂にて秀頼生害は、五月八日なれとも、豐臣家の亡たりと云は七日なり、, と讀置れたるとの義は、其時分から我等なとは聞及居たる事なるに、此度, 成り、奸臣と惡まれし大野は、秀頼公生害の供をしたり、可否の區論事長け, し、壯強の年に至りなば、いかなる忠良にや有けん惜し、又落城前に東軍の, 仕合よく別條なきか如く有之候ても、子孫に至て報ひは遁れすとおもは, 魁を切崩せしは毛利豐前守、御本陣を襲しは眞田なり、此毛利眞田が驍勇, 野間の内海にて信孝切腹と云も五月七日なり、不思儀なる事にてはなき, 英雄なり、中にも盟使の始末、古今獨歩たるべし、吁不幸にして生涯の美短, 恩を得たる主人には、主の子供なとへ、つらくあたりたき者は、しとへ當分, 大坂御陣以後、駿府にて、或時御近習衆へ仰聞られ候は, 〔阪役叢話, 七十, 四, 康ノ談, 大坂敗軍, ニツキ家, 元和元年五月八日, 二八二

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  • 七十

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  • 康ノ談
  • 大坂敗軍
  • ニツキ家

  • 元和元年五月八日

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  • 二八二

注記 (23)

  • 1692,629,53,421れば爰に略す、
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