『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.433

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テハ、中ノ内惣右衞門、羽山左八郎只二人ソ隨ヒケル, 又ハ敵ニ隔ラレ、行方モ知レス成ケレハ、一先何方ヘモ立忍ヒ、秀頼公ノ生, 死ヲ聞定メ、兎ニモ角ニモ成ヘシト、八ワタヲサシテ落ラルヽ、相伴フ人ト, ノ御行衞ヲ聞ント徘徊スル處ニ、敵東西ヨリ亂レ入、手ノ者トモ或ハ討レ, 斯ル處ニ、蜂須賀阿波守家政入道蓬菴ハ、兩將軍ノ御機嫌伺ン爲、長坂三郎, 城中ニモ火ノ手擧リケレハ、防クトモ叶フマシトテ、旗馬印ヲ納テ、秀頼公, 左衞門ヲ使者ニ遣シケルカ、橋本ノ茶屋ニ至テ、三郎左衞門暫ク休息シテ、, 〔參考土佐軍記〕翌七日、宮内少輔盛親、京橋口ヲ防キケルカ、味方大ニ敗レ、, 道訴骸ウよ國皮察哉を公雌, 有れ〓をれりgめ練人に波}, いのと死ちる本敷を者膝, }見bいくうろのゝ慈賀g, へるるそ〓へ}未め悲阿教, 塔へろい五て旗直}〓々〓守夫, ろしめして、慶長二十年乙卯五月廿一日、終に六條河原に引出し、敷皮の, は、則石塔を立、懇にとふらはれし、墓所今に有、右出犬著聞集十四、, 〓未練なる心にて、大事に組したるつと笑ひしつと、兩公は其志を察し, つ有き事なりとゆるし給ひ、翌日米壹石白銀十兩給はりし, うへに直しにれは、扨はたすけさるつ、何とそして、此難をのかれ、本國コ, くたり旗をあけ、會〓の恥をすゝつんと思ひしかと、さとられぬるよ, 見るもい〓はしく候、御ゆるしあらは、つけをつくさま不しく候と訴訟, けるを、五條寺町蓮光寺地〓の住持、板倉伊賀守殿に參り、名將の死骸を, しのれは、奇特なる事殊勝也、是よりいひ付る事にはあらす、出家の道は, いはれて切是乃る、首下とさらされたり、躰はすてをき、鳩烏の引ちらし, め人々をへつらゐ、〓にむせし不れて居給へるを、世人は臆病者哉、お, 〓悲におはしまいに、さり共我命御助候へ、出家をとげ申度候と、膝をか, 三郎左衞門生捕、公義へ渡し侍しに、家康公、秀忠公〓, 〕ひよあ佳さゝさ月〓一命生の, 盛親ノ所, 遺骸ヲ葬, 長坂由忠, 持盛親ノ, 蓮光寺住, 在ヲ捜ル, 康聽サズ, ラ乞フ家, 盛親助命, 元和元年五月十五日, 四三三

割注

  • ろしめして、慶長二十年乙卯五月廿一日、終に六條河原に引出し、敷皮の
  • は、則石塔を立、懇にとふらはれし、墓所今に有、右出犬著聞集十四、
  • 〓未練なる心にて、大事に組したるつと笑ひしつと、兩公は其志を察し
  • つ有き事なりとゆるし給ひ、翌日米壹石白銀十兩給はりし
  • うへに直しにれは、扨はたすけさるつ、何とそして、此難をのかれ、本國コ
  • くたり旗をあけ、會〓の恥をすゝつんと思ひしかと、さとられぬるよ
  • 見るもい〓はしく候、御ゆるしあらは、つけをつくさま不しく候と訴訟
  • けるを、五條寺町蓮光寺地〓の住持、板倉伊賀守殿に參り、名將の死骸を
  • しのれは、奇特なる事殊勝也、是よりいひ付る事にはあらす、出家の道は
  • いはれて切是乃る、首下とさらされたり、躰はすてをき、鳩烏の引ちらし
  • め人々をへつらゐ、〓にむせし不れて居給へるを、世人は臆病者哉、お
  • 〓悲におはしまいに、さり共我命御助候へ、出家をとげ申度候と、膝をか
  • 三郎左衞門生捕、公義へ渡し侍しに、家康公、秀忠公〓
  • 〕ひよあ佳さゝさ月〓一命生の

頭注

  • 盛親ノ所
  • 遺骸ヲ葬
  • 長坂由忠
  • 持盛親ノ
  • 蓮光寺住
  • 在ヲ捜ル
  • 康聽サズ
  • ラ乞フ家
  • 盛親助命

  • 元和元年五月十五日

ノンブル

  • 四三三

注記 (39)

  • 520,609,63,1582テハ、中ノ内惣右衞門、羽山左八郎只二人ソ隨ヒケル
  • 743,608,79,2227又ハ敵ニ隔ラレ、行方モ知レス成ケレハ、一先何方ヘモ立忍ヒ、秀頼公ノ生
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  • 1487,713,52,2117いはれて切是乃る、首下とさらされたり、躰はすてをき、鳩烏の引ちらし
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