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みたろに大坂城にいらせむたふだし、こ乃度のこと、秀頼もとよりあり, かりしよところにあら次、况且元兄弟、太閤乃遺命を守り、いさゝか違叛, のこ」ゝあを存せのよとず、男釆女某を證人とし〓、伏見にあいらせしか, 原に御進發のとき、且元兄弟使節をも〓〓言上をしは、御凱旋のゝち、す, は、の節義を歡はせ〓ぬひ、大坂城にわたらせたあふ、且元兄弟は御旅, を宛行はよゝ乃む〓感状をあたへら〓、七月朔日、從五位下東市正に敍, 月五日、近江國柳瀬乃合戰に軍功ありしかは、だの賞とし〓、三千石の地, られ、本領四千二百石にあはせ、すへて一万石を領す、慶長五年、東照宮關, 日、志津嶽乃戰ひに、衆にぬきんず鎗を合せしにより、五千八百石を加へ, 豐臣乃姓をたまふ、文祿四年八月十七, 且元母は某氏、弘治二年、近江國に生よ、豐臣太閤ににのへ、天正十一年六, 任し、, 母は上におなし、尾張家につかふ、, 母〓て某氏、兄孝利か嗣とかる、, 女子母は某氏、畠山民部政信か妻、, 女子母と上におかし、小出信濃守某か妻, 元和元年五月二十八日, ○續武家補任二ハ、敍任ノ事, フ天正十三年七月朔日トス、, 半之, 九兵, 衞、, 〓, 爲元, 某, トキ秀頼, 關原役ノ, 賤嶽ニ戰, 關知ヤ, 與ヘラル, 且元ノ履, 柳瀬ニ戰, ザルヲ陳, 歴, 豐臣姓ヲ, 敍任, ズザ, フ, 元和元年五月二十八日, 五七五
割注
- ○續武家補任二ハ、敍任ノ事
- フ天正十三年七月朔日トス、
- 半之
- 九兵
- 衞、
- 〓
- 爲元
- 某
頭注
- トキ秀頼
- 關原役ノ
- 賤嶽ニ戰
- 關知ヤ
- 與ヘラル
- 且元ノ履
- 柳瀬ニ戰
- ザルヲ陳
- 歴
- 豐臣姓ヲ
- 敍任
- ズザ
- フ
柱
- 元和元年五月二十八日
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- 五七五
注記 (40)
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