『大日本史料』 12編 21 元和元年六月~同年閏六月 p.398

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し、弟高廣とゝもに寺田を殺害し、腹切て死す、, を撃取、村越茂助直吉かもとに注進さるのとこ海、九月十一日、これを賞, 府にをい〓、かのものをめし捕しこと、町奉行彦坂九兵衞光正より言上, をられ、御書を下さよ、關原の役に、逆徒伏誅のゝち、封地をあらため加恩, 井長門守貞勝か女、繼室は久留島右衞門大夫通康か女、, あり、大和國宇多城をたあはり、三万石を領す、十九年、高晴か家臣訴ふな, む手あり〓、東照宮に目安をさゝくなこと兩度に及ひしかと、兄正則か, さしかは、高晴さきに駿府城大手にをいて、かのものをめしとり、下馬騷, を沒收をられ、伊勢國山田に蟄居す、寛永十年九月二十五日死す、室き村, 舊功をおほしめし、糺明の沙汰にをよはれさりしに、高晴わたくしに駿, 動に及ひしこと、越度のい〓りなりとて閉門さしめら〓、元和元年、所領, 二十二日、はしめて常憲院殿に拜〓し、十月二十五日、廩米五百俵をたま, 忠政母き村井清次郎某か女、天和三年六月二十九日めしかへされ、八月, 高經父とゝもに伊勢國山田に住す、寛永十七年、處士寺田將監某と爭論, はり寄合に列す、元禄十年七月二十六日、廩米をあらため、下野國那須郡, 元和元年閏六月二十五日, 改易ノ理, 由, 三九八

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  • 改易ノ理

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  • 三九八

注記 (19)

  • 495,706,57,1361し、弟高廣とゝもに寺田を殺害し、腹切て死す、
  • 1782,700,57,2143を撃取、村越茂助直吉かもとに注進さるのとこ海、九月十一日、これを賞
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