『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.584

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て、孰れも當九月十九日, 月二十三日, 十月八日, の意なること、又皇帝が京都を出發せし前に、蘭人は其用務を終へしこと, 吾等が、曩にキヤプテン・コピンドール及び其, 帝の半途或地に駐るべしと聞き、同所に於て用務を果したる後、歸らんと, を記しあり、彼等は其歸るまで、何日を要すべきかを知らざるを以て、船を, 三艘共歸らしむるを適當と考へしなり、, 附大坂發の彼の書状并に同日附、イートン君, 行を乘せて、大坂に派遣せし小船三艘は、今日午前歸港せり、而して予は去, 在り、今月末まで滯在すべしと思はれしことを聞きし由なり、, リチヤード・ウイツカム君より一通、ウィリヤム・イートン君より一通にし, たること、又キヤプテン・アダムスが、傳馬にて其跡を追ひ行きしが、こは工, 牛窓より發せしものなり、彼等は天候不良なるため、該地に滯在せしもの, の書状を受取りたり、書中には、彼等が到著の八日前、皇帝は京都を出發し, なるが、日附の四日前、其地に和蘭人の著せしこと、及び當時皇帝尚京都に, ラーフ・コピンドールより一通、キヤプテン・ウイリヤム・アダムスより一通, 附にて、大坂の手前四十リーグなる, 月七日二當ル, ○元和元年八, ○元和元年八月, ○元和元年八月, 二十六日二當ル, 十一日二當ル, ○中, 略, ○中, 略, 元和元年九月是月, 五八四

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  • 月七日二當ル
  • ○元和元年八
  • ○元和元年八月
  • 二十六日二當ル
  • 十一日二當ル
  • ○中

  • 元和元年九月是月

ノンブル

  • 五八四

注記 (30)

  • 1570,661,55,691て、孰れも當九月十九日
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  • 280,659,59,2203を記しあり、彼等は其歸るまで、何日を要すべきかを知らざるを以て、船を
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