『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.617

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名なり、此事不安思ひ、則御前へ御耳に達したれは, 入打捨置ぬ、此度の入用に、京大坂伏見三ケ所の金を運集、馬物具を用意し、, 戸等の藏々に、一萬宛の金を籠置けるか、先年入道せし折、此事にも心を不, へ合力と覺たり、其上新に名を顯す段、我をあさむくと覺候とて、御所樣へ, を以金粉を入と云、弓も右同斷を秀頼へ獻す事、其外諸大名へも、大野修理, を給ひ、南部を名乘〓き者は、奧州の利直ゟ外覺す、定〓利直二心を抱き、城, たる刻、城中ゟ射出し候矢を見たるに、南部十左衞門と名有り、寄手不思義, す、秀頼公へ土産として、重藤の弓墨漆といふ五百張征矢壹萬、但し羽中の, 坂にては南部の光り武者と唱、然に大坂の合戰始て、敵味方しゆふを決し, 相隨ふ兵共迄、馬物具を一色にして、何も美を盡し、大坂城内に罷越し籠城, 節中迄金にてぬり候由、且射付の節の邊に、南部十左衞門何の某と名を朱, 彼是四五人征矢五百千夫々に送りたる、其有樣適ゆゝしく見得けれは、大, に思ひ詮義するに、城中諸方之矢倉〳〵ゟ射出す矢、何レだ同し矢にて同, の兩所にて、武具の用意をす、十左衞門無隱金持なれは、京伏見大坂駿府江, 御内談被戌候由、後に聞ニ、此時家康公被仰候は、味方の諸大名利直, 將軍樣大に憤ら, 家康公, 之御事, 秀忠公, の事、, 秀忠利直, ノ大坂内, 南部ノ光, リ武者, 應ヲ疑フ, ノ諸大名, 家康味方, ヲ城中合, 元和元年是秋, 六一七

割注

  • 家康公
  • 之御事
  • 秀忠公
  • の事、

頭注

  • 秀忠利直
  • ノ大坂内
  • 南部ノ光
  • リ武者
  • 應ヲ疑フ
  • ノ諸大名
  • 家康味方
  • ヲ城中合

  • 元和元年是秋

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  • 六一七

注記 (30)

  • 641,665,59,1483名なり、此事不安思ひ、則御前へ御耳に達したれは
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