『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.230

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師聖坊肩衝の茶入をたまふ、, かつ高虎かとしころ忠節ありしことヽも、台徳院殿に御物語ありて、いま, て奉仕すへきしるしに、宗旨をもあらためしむね上聞に達せしかは、御滿, まつるへしと、言上にをよふのところ、宗旨のこと御諚ありしかは、やかて, ノ箱ヲ作リ、書院ニ置、領國伊賀伊勢ノ士、殉死セント思フ者ハ、姓名ヲ記シ, は名殘とおほしめさるゝなりとて、御盃を〓まひ、小笠原眞守の御刀をた, 退出し、大僧正天海に約して、天台宗にあらため、また御傍にいたり、來世ま, 平日ノ武備ヲ賞シ給ヒ、我死後、萬一國亂レナバ、藤堂高虎ヲ將軍ノ一陣ト, 二怠ルベカラズト命シ給フ、堀直寄落〓シテ退ク、又藤堂高虎ハ、先ニ一ツ, 足のよしにて、御喜色あり、薨御ののち、あらかしめ御遺命ありしよしにて、, 積年の御厚恩報したてまつるへきやうなし、來世まてもなかく仕へたて, シ、井伊直孝ヲ二陣トシ、汝ハ其兩陣ノ間ニ屯シ、横ヲ討テ破ルベシ、必忠義, まふ、このとき高虎か手をとらせられ、こま〳〵との仰ありしかは、高虎も、, テ此箱ノ中へ入ベシト下知シケルニ、姓名ヲ記シ入シ者四十餘人有リ、又, 〔明良洪範〕五四月朔日、堀丹後守直寄ヲ寢殿ヘ召サレテ、大坂ノ軍功、且, 拜領, ントスル, ノ殉死セ, 高虎天台, 高虎遺物, 高虎家臣, 宗ニ改ム, 者ノ名ヲ, 問フ, 元和二年四月一日, 二三〇

頭注

  • 拜領
  • ントスル
  • ノ殉死セ
  • 高虎天台
  • 高虎遺物
  • 高虎家臣
  • 宗ニ改ム
  • 者ノ名ヲ
  • 問フ

  • 元和二年四月一日

ノンブル

  • 二三〇

注記 (26)

  • 856,644,55,869師聖坊肩衝の茶入をたまふ、
  • 1798,645,59,2219かつ高虎かとしころ忠節ありしことヽも、台徳院殿に御物語ありて、いま
  • 1093,646,59,2240て奉仕すへきしるしに、宗旨をもあらためしむね上聞に達せしかは、御滿
  • 1326,644,60,2234まつるへしと、言上にをよふのところ、宗旨のこと御諚ありしかは、やかて
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