『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.495

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千、家僕に錢三百を拂ひたり、, 後方に落され、而して其右肩關節を〓臼せしめ、殆ど其頸骨を挫かんとせ, 十九日, 二十日, はキヤプテン・アダムスの馬が、籬より鳥の飛び立ちしに驚きし爲め、彼は, と、家僕に錢百を拂ひ、又山麓の三島にて、間食の代として、錢三百を拂ひぬ、, 二十一日、, 我等は途にて、蘭人の急使の江戸に向ふに會せしが、其用件の何なりやは, 巾二枚を與へたり、斯くして其處を發して、小田原に到りて宿泊せり、こゝ, 五百、家僕に錢二百を拂ひ、尚予は其家の少女に小形更紗ブランポート手, しかば、錢五百を拂ひぬ、即ち接骨醫に錢三百及び家に錢二百なり、其仔細, 而して我等は三枚橋に到りて、晩食を取り、夜及び朝の食事代として錢二, にて我等は夜と朝の食事代として、錢二千と、家僕に、錢二百を拂ひぬ、, 聞くことを得ざりき、, 千二百と、家僕に錢百を拂ひたり、又由比にてキヤプテン・アダムス落馬せ, 我等は蒲原に到りて晝食をなし、錢, 我等は箱根山頂にて晝食をなし、錢一千, 我等は大磯にて晝食をなし、其家に錢千, ○新暦二十九日ニシテ、元, ○新暦三十日二シテ、元和, 和二年九月十九日ニ當ル, ○新暦三十一日ニシテ、元和, 二年九月二十日ニ當ル, 一年九月二十一日ニ當ル, あだむす, ノ負傷9, 接骨醫, 箱根通過, 元和二年八月二十日, 四九五

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  • ○新暦二十九日ニシテ、元
  • ○新暦三十日二シテ、元和
  • 和二年九月十九日ニ當ル
  • ○新暦三十一日ニシテ、元和
  • 二年九月二十日ニ當ル
  • 一年九月二十一日ニ當ル

頭注

  • あだむす
  • ノ負傷9
  • 接骨醫
  • 箱根通過

  • 元和二年八月二十日

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  • 四九五

注記 (30)

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