『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.642

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の頭は此者喰候故、首を討申候、是を肴に被致候得と被申ける、, 々の繪像有て、其上に一代之功業を贊の〓くに書たり、彼一兵衞、先生へ幼, にて、度々高名ある荒者也、或時鯉を料理し、客を振廻けるに、客方より、此鯉, 也、其元は但州と御因縁あれは、何卒此事を御取持可給由申たれとも、先生, て、一男二女を儲給ふ所、忠刻、寛永年中、早世之後、孀女と成給ふ、甚た烙弟し, も吸物出す、出羽守座敷にたまり兼、勝手へ行て尋けるに、最早料理人煎て, 少之時來りて、某親のなからへたる事は、柳生但州の、よく其子細を御存知, の頭吸物にして、御酒今一ッ給度と望、安き事也、其趣を言付るに、時刻過て, 衞とてあり、彼醫京師にてはやらすして、加州金澤へ來り居て、彼一兵衞、幼, て惡名なり、, 少より奧村因幡家に仕へて、今は知行取となれり、これが家に、高徳より代, 某か力こ而、其方を世に出し申事も成かだし、但州も死去也とありし、今は, 給べ候といふ、則其料理人を呼出して、直に手討にし、其首を座敷へ持出、鯉, 〔紳書〕六坂崎出羽守醫師にて、見置弟子こてなからへて、其子三宅一兵, 〔玉露證話〕十三天樹院殿は、元和年中、本多中務大輔忠刻方は御再縁に, 千姫ハ烙, 奥村氏ニ, 直盛ノ後, 前田家臣, 仕フ, ヲ救フ, 柳生宗矩, 直盛ノ子, 亂, 元和二年九月是月, 六四二

頭注

  • 千姫ハ烙
  • 奥村氏ニ
  • 直盛ノ後
  • 前田家臣
  • 仕フ
  • ヲ救フ
  • 柳生宗矩
  • 直盛ノ子

  • 元和二年九月是月

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  • 六四二

注記 (26)

  • 1329,641,61,1857の頭は此者喰候故、首を討申候、是を肴に被致候得と被申ける、
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