『大日本史料』 11編 1 天正10年6月 p.296

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人數を出しける、, 來を集め、具足を堅め、乘出す、此事半右衞門も聞て、強三人に勝れたる者な, る所へ、其首持來り、且詑言せしを聞く引返して、事なく濟けるとなり、秀吉, 門、黒田官兵衞才覺にて、或宿のうらの方をみるに、役中間と見へて、日に向, なして、秀吉手廻りの人計にる、雜兵に紛れ、釣の渡をして、馬に打乘、播州, て虫を尋て居る者有り、あの首うてとて打せて、此首を岡山へ持せ遣し、加, 置て、上方へ出陣ありし、其時毛利家よりも、宇喜多家よりも、秀吉へ加勢の, をすくる時、渡し守の加子を神子田半右衞門切〓す、其事岡山へ聞へけれ, は、他國の者を心にまかせ〓すこと甚狼藉なり、堪忍ならすとて、岡平内家, まは、我髮をふる〳〵とさはお、手の者を集めて是を待所に、蜂須賀彦右衞, 一説に、此時秀吉辛川村にて、病氣以の外なりと披露し、爰に猶豫の躰を, は其翌七日、沼を立て、播州宇根に著ありて、姫路へ歸陣也、岡山よりも人質, として、富川平右衞門か娘と、明石掃部を出さる、是等の人質を姫路にこめ, 子を殺せし中間を成敗せしとて、詑言を言やりける、平内は出石迄はや出, へ駈通られける、炎天の時にて、馬を途中に乘斃し、家士の馬を取て乘り、, 七日説, 宇喜多氏, 姫路歸城, ノ人質, 天正十年六月六日, 二九六

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  • 七日説
  • 宇喜多氏
  • 姫路歸城
  • ノ人質

  • 天正十年六月六日

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  • 二九六

注記 (21)

  • 533,620,54,498人數を出しける、
  • 1575,616,62,2192來を集め、具足を堅め、乘出す、此事半右衞門も聞て、強三人に勝れたる者な
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