『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.485

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案なに、彼山, つ、九條袈裟一つ被相送之、, 傳譽了感上人なり、前後に師の名なし、彼山にてき世代を除けるか、又き, は、新寺たる大念寺の相續いまた行末おほにかなく、殊に風土國民他國に, 當山の記によりて、此事をのするのみ、, の五人まらられけれと、渡海の御日限も究らさりし故住職し、關東下向の, 山よりいまた尋問させられす、故にかの徒恨思の事ありと述られしかは、, 時、神祖、遠路の所厚心出仕、滿悦の至と御懇の上意の上、御茶壺、御鷹繪、銀子, 百枚被下之、翌年傳通院御建立ニ付、師を中興とさせらるへき内命有けれ, 時、伏見の宿より知恩院へ登山ありて、善導寺兵火のために燒れしかと、本, 供奉として、存應上人をはしめ、不殘上人、呑龍上人、慶岩上人、所化廓山上人, 滿譽大僧正、直に良照院宗把を使僧として、伏見宿まて綸旨并唐羅香衣, 〓名か、又き文祿中纔住故、記録燒失にて、名牌を失すまり、詳ならす、今き, 慶長五年、青野原御勝戰御落去後、翌六年鎭西より上洛し、御祝詞を述奉る, 是は文祿年中、肥前名護屋御陣まて、神祖御持佛守護、并御法話なとの爲の, の世系記を探覽するに、廿世を圓譽辨跡上人、廿一世き, 善導, 寺、, ヲ傳通院, ニ住セシ, 屋ニ行ク, 家康慶岩, ヒテ名護, メントス, 家康ニ隨, 元和三年正月二十一日, 四八五

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  • 善導
  • 寺、

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  • ヲ傳通院
  • ニ住セシ
  • 屋ニ行ク
  • 家康慶岩
  • ヒテ名護
  • メントス
  • 家康ニ隨

  • 元和三年正月二十一日

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  • 四八五

注記 (27)

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