『大日本史料』 12編 28 元和三年九月~同年十二月 p.290

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

るべし、箕山か大鑑に云, の父紹圓是なり、紹圓も鞠を好しとなり、紹圓五十餘歳のとき、主人出生す、, 前盆子が禿林彌吉野となる云々、寛永十八年、六條柳の馬場より、今の三筋, 町へ引たれば、嶋原の廓は、よし野沒して十年のちに成就す、或人の説に、紹, ものなるべし、うべなり紹盆が玉をうしなへるの恨、前の歌を吟じてもし, し野が法名を二行に彫つけたり、紹盆は八十一歳にて沒しぬ、, 本融院はよし野が法號なり、これをもて數れば、吉野沒年は紹盆廿歳の夏, なり、しかればよし野、紹盆が婦となりて、程なくいとわかくて身まかりし, 本融院妙供寛永八年六月廿二日, 主人も齡六旬にちかゝるべし、寛永年中より僅に三世、み〓長命にして、い, 所に引たりし時、改葬して墓石を建かへしにや、詳ならす、石面し紹盆とよ, 盆、よし野を根引せし時。父の不興を得、しばらく下京に廬もとめて夫婦住, とめでたた家也、亦彼人の話に、紹盆が菩提寺は、内野新地立本寺, 此寺そのころは今出川寺町にありしが、そのゝち御用地となりて、今の地, 古繼院紹盆元祿四年十一月十三日, なり、, 六條の時、林家の肥, 元和三年十一月二十二日, 大鑑などあらハしたる人也, 箕山ハ貞徳門人、兩巴厄言、好色, 日蓮, 宗、, 吉野ト灰, 屋紹盆ノ, 父, 元和三年十一月二十二日, 二九〇

割注

  • 大鑑などあらハしたる人也
  • 箕山ハ貞徳門人、兩巴厄言、好色
  • 日蓮
  • 宗、

頭注

  • 吉野ト灰
  • 屋紹盆ノ

  • 元和三年十一月二十二日

ノンブル

  • 二九〇

注記 (27)

  • 611,690,61,693るべし、箕山か大鑑に云
  • 1896,680,74,2204の父紹圓是なり、紹圓も鞠を好しとなり、紹圓五十餘歳のとき、主人出生す、
  • 494,683,72,2201前盆子が禿林彌吉野となる云々、寛永十八年、六條柳の馬場より、今の三筋
  • 373,686,71,2199町へ引たれば、嶋原の廓は、よし野沒して十年のちに成就す、或人の説に、紹
  • 729,685,68,2193ものなるべし、うべなり紹盆が玉をうしなへるの恨、前の歌を吟じてもし
  • 1307,679,74,1855し野が法名を二行に彫つけたり、紹盆は八十一歳にて沒しぬ、
  • 962,681,75,2196本融院はよし野が法號なり、これをもて數れば、吉野沒年は紹盆廿歳の夏
  • 847,683,68,2198なり、しかればよし野、紹盆が婦となりて、程なくいとわかくて身まかりし
  • 1075,821,66,1123本融院妙供寛永八年六月廿二日
  • 1776,674,72,2197主人も齡六旬にちかゝるべし、寛永年中より僅に三世、み〓長命にして、い
  • 1425,674,75,2200所に引たりし時、改葬して墓石を建かへしにや、詳ならす、石面し紹盆とよ
  • 257,688,74,2193盆、よし野を根引せし時。父の不興を得、しばらく下京に廬もとめて夫婦住
  • 1663,683,68,1907とめでたた家也、亦彼人の話に、紹盆が菩提寺は、内野新地立本寺
  • 1544,676,75,2201此寺そのころは今出川寺町にありしが、そのゝち御用地となりて、今の地
  • 1193,818,69,1198古繼院紹盆元祿四年十一月十三日
  • 1686,2752,48,137なり、
  • 624,2328,59,552六條の時、林家の肥
  • 2010,751,47,470元和三年十一月二十二日
  • 601,1403,47,832大鑑などあらハしたる人也
  • 646,1403,49,900箕山ハ貞徳門人、兩巴厄言、好色
  • 1707,2611,42,117日蓮
  • 1663,2612,43,52宗、
  • 310,330,43,166吉野ト灰
  • 267,330,42,162屋紹盆ノ
  • 225,331,37,38
  • 2010,751,48,470元和三年十一月二十二日
  • 2026,2463,43,121二九〇

類似アイテム