『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.315

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秀治に從て、北陸道らり奧に向ふへしと定めらる、かゝる所に、上方又軍起, りしろは、先東國の軍をは留められ、上方に向はせ給ふにらつて、村上等き, おのろ國に留つて上杉を防く、此國元は上杉か傳領の處なれは、彼に心を, 合さて、賊徒國中に蜂起す、溝口伯耆守宣勝等と力を合さて、爰かしこに打, 越後國に移りし時、村上も同く移り、本庄の城を領す, 門尉長秀ろ家人たり、長秀卒して後、豐臣家に召仕はる、其後周防守になさ, れ、從五位下に敍とられ、越後國分ち賜ひ、堀左衞門督秀政ろ手に附られた, 平く, 周防守源義明は、始二郎右衞門尉と名乘、丹羽五郎左衞, 五年の夏、徳川殿、上杉中納言を追討有へきとて、越後國の人々は、左衞門督, 秀政か男左衞門督秀治か, 慶長, -義明, -義忠, 〔藩翰譜〕, り, 實堀左衞門督秀政三男、, 、按るに、創業記、慶長十二年閏四月の下に、堀久太郎并溝口伯骨守、村上, 源吾國清也としるして、周防守か事をのせす、, らす、夏目か記に、義清か子只今上杉か家の村上, 思ふに、是伊豫の國村上二郎か後胤にあらすや、系圖を得されハ未詳な, 今の村上の城也, 周防守等、江戸の城の遑うかちし事をのせられたり、然れ共、此比ハ周, ヽ六万石を領す、或説に、信濃の國村上義清か子たる由を記せる有、されと, 九万五千石餘、, 村上, 十二下, 防守か子の代たるにや、但しこの子といふ字、守と云字を誤りしも知す、世, 次郎右衛門尉、周防守、從五位下、, には、亡ひし周防守は、上總介殿の家人花井主水正か妹聟の由をもつとふ, 實堀左衞門督秀政三男、, 但馬守、, 元和四年四月被罪、未見系譜、不知其詳、同九年九月死, 元和四年四月是月, 三一五

割注

  • 、按るに、創業記、慶長十二年閏四月の下に、堀久太郎并溝口伯骨守、村上
  • 源吾國清也としるして、周防守か事をのせす、
  • らす、夏目か記に、義清か子只今上杉か家の村上
  • 思ふに、是伊豫の國村上二郎か後胤にあらすや、系圖を得されハ未詳な
  • 今の村上の城也
  • 周防守等、江戸の城の遑うかちし事をのせられたり、然れ共、此比ハ周
  • ヽ六万石を領す、或説に、信濃の國村上義清か子たる由を記せる有、されと
  • 九万五千石餘、
  • 村上
  • 十二下
  • 防守か子の代たるにや、但しこの子といふ字、守と云字を誤りしも知す、世
  • 次郎右衛門尉、周防守、從五位下、
  • には、亡ひし周防守は、上總介殿の家人花井主水正か妹聟の由をもつとふ
  • 實堀左衞門督秀政三男、
  • 但馬守、
  • 元和四年四月被罪、未見系譜、不知其詳、同九年九月死

  • 元和四年四月是月

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  • 三一五

注記 (35)

  • 848,633,64,2190秀治に從て、北陸道らり奧に向ふへしと定めらる、かゝる所に、上方又軍起
  • 734,638,64,2183りしろは、先東國の軍をは留められ、上方に向はせ給ふにらつて、村上等き
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