『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.316

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收さられてくり、, 一村上周防忠勝塚, 同十五年の春、秀治の男越後守忠俊罪か, ト云者、是モ權ヲ爭ヒ、主人ノ家ヲ失フ、防州ハ諏訪ニナカサル、本庄是ナリ, うふりて、上總介殿越後國を賜らせ給ふ、村上又彼御手に從ひ、元和元年の, ルトソ、, 閏二月二日、村上周防ノカミカ子周防守、父ノ沒後、若輩ニ依テ、長臣富田抔, 今世ニ村上周防守カ在城ナルヲ以テ、國俗ノ云ナラハシタルナリ、古昔、景, 夏大坂に向ふ、上總介殿軍の事怠らせ給へは、御手に屬さし人々も戰にき, あはす、明れは二年七月、忠輝卿流されさせ給ひし時、村上も罪蒙て所領沒, 勝カ臣ニ本庄越前重長ト云者アリ、數代此處ヲ領ス、依之、元ハ本庄ト號ス, 今の所を知なものなし、黒岡村法昌寺に靈稗アリ、, 黒岡村, 〔丹波多紀郡明細記〕, 〔慶元記〕十一慶長十六年庚, り、〇本書、義明ノ除封ヲ二年ト爲スハ誤ナラン、, 是上總介殿の家人花井主水正の縁坐のよしな, 皆義明一代にて、亡ひしやうに傳, 然レドモ傍證ナシ、暫ク茲ニ收メテ疑ヲ存ス、, ○本書、忠勝ヲ以テ、義明ト同人ト爲スニ似タリ、, ふれは、まつ其説に隨ふもの也、, 三中組, 井か妹めあハせしもしれす、此家一代か二代か覺束なしといへとも、世に, 黒岡組, 然らハ長秀に仕へし周防守にはあらさるへし、それも周防守か息男に、花, 三, 元和四年四月是月, 三一六

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  • り、〇本書、義明ノ除封ヲ二年ト爲スハ誤ナラン、
  • 是上總介殿の家人花井主水正の縁坐のよしな
  • 皆義明一代にて、亡ひしやうに傳
  • 然レドモ傍證ナシ、暫ク茲ニ收メテ疑ヲ存ス、
  • ○本書、忠勝ヲ以テ、義明ト同人ト爲スニ似タリ、
  • ふれは、まつ其説に隨ふもの也、
  • 三中組
  • 井か妹めあハせしもしれす、此家一代か二代か覺束なしといへとも、世に
  • 黒岡組
  • 然らハ長秀に仕へし周防守にはあらさるへし、それも周防守か息男に、花

  • 元和四年四月是月

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  • 三一六

注記 (28)

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  • 309,674,55,523一村上周防忠勝塚
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