『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.321

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つめさん〴〵に射る、寄手おそれくすゝと事あたはに、秀吉眞先にすゝみ, 味の城主乙部兵庫の頭藤政すゝみ出そいはく舟江にはくつきやうの十, を大將とす、本多美作守は、彼乙部家の聟なり、其子小次郎親康若年たるに, の冷泉方、名張の北村方、同西岡方、其ほか彼是同意す、爰に軍評定のとき、澁, にはかに心を變じ、鉄炮の藥に水を入れ置ゆへ、大宮入道終に降參を乞、開, 城して落行きり、信長卿瀧川勢を當城に入置き、油斷なく是を守らしめ給, 依て伯父右衞門尉これを守護す、此ゆへに信長卿其枝を置き、其根を斷ぜ, む、城内しばらく防ぎ戰ふ、大宮大丞大力の勇士、弓の上手なり、さしつめ引, 卒あり、とやすく落城すべからに、此所秋山領分としそ、諸侍の會所也、本多, 勢州南方の通路は舟江道也、此ゆへに本多方當城を守る、加勢として小原, せば、城内すでにすかれはて、殊に大宮の家老大宮源五左衞門尉、條介兩人, これ當山を詠ざし也、信長卿の先陣木下藤吉郎秀吉、阿坂の城をかこみ責, て、左の腿射とをさる、しかれども是を事共せに、大勢をはずまし責うこか, 舟江打出の事, ふ、, 負傷ス, 落去, 木下秀吉, 大宮入道, 永祿十二年十月十一日, 三二一

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  • 負傷ス
  • 落去
  • 木下秀吉
  • 大宮入道

  • 永祿十二年十月十一日

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  • 三二一

注記 (21)

  • 1651,646,65,2188つめさん〴〵に射る、寄手おそれくすゝと事あたはに、秀吉眞先にすゝみ
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