『大日本史料』 12編 29 元和四年正月~同年十二月 p.579

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のとき、左京, も絶へ、次第に人囂もなく成りたれば、夫より櫓を下りたるに、秀頼は生害, と聞く、急ぎ櫓を出見るに、はや修理にも逢はず、城内の人皆々四方へ逃去, にせんと答申せしかば、さらば迚四座の列にも入らず、神事にも往かず、江, んやと問はせ給ふに、古時の風とて、縱まゝに四座の下にゐて、藝術を專ら, 召出されしことを云、後谷村某が, り、黒田氏の溜池の第に寓す、是より三代將軍樣猷〓の御時召出され、, 都に常住して、御用を勤る家とはなりぬ、, 其もとは早く御櫓に登り、この傘を開き振るべし迚、赤き日傘を與へたり、, 左京即櫓の上段に上り、〓より傘を出して振りければ、間もなく弓炮の音, の輩を支配すべきや、又は別に一家となり、四座の下に從ひ、一座を以て爲, 本丸の方へ往しに、途中にて大野修理に遇ふ、修理曰、, 其後仰有りしは、汝觀世が上座にゐて、兩氏相并びて、猿樂, 前の廿六卷に、喜多左京が大坂を去て後、御當家に, 語を聞くに、大坂落城, 〔甲子夜話續篇〕〓, 〔甲子夜話續篇〕七十前の廿六卷に、喜多左京が大坂を去て後、御當家に, 云て台廣を云は, ざるを察すべし, 主、喜多氏の親類, 名可順、御數寄屋坊, この年左, 家傳, よりして、台廣の御ことを云はざる者は、六平太江戸に赴しは、元和二年に, 世繼の後召出されしことなれば、台廣の御聽に入しは知べければ、神祖を, 寛永に至ては、台廣已に大御所と稱し給ひ、九年の後薨逝也、されば〓廣御, して、此年よりして、猷廣の御世を繼せらるゝは、七年の後元和九年なり、・, 京三十七, 神祖, 喜多氏四, 座ノ列ニ, 大坂落城, ノ時大野, 修理ノ命, 入ラズ, ニ召出サ, 喜多左京, 樓ニテ傘, 家光ノ時, ニ依リ城, ヲ振ル, 元和四年八月二十八日, 五七九

割注

  • 云て台廣を云は
  • ざるを察すべし
  • 主、喜多氏の親類
  • 名可順、御數寄屋坊
  • この年左
  • 家傳
  • よりして、台廣の御ことを云はざる者は、六平太江戸に赴しは、元和二年に
  • 世繼の後召出されしことなれば、台廣の御聽に入しは知べければ、神祖を
  • 寛永に至ては、台廣已に大御所と稱し給ひ、九年の後薨逝也、されば〓廣御
  • して、此年よりして、猷廣の御世を繼せらるゝは、七年の後元和九年なり、・
  • 京三十七
  • 神祖

頭注

  • 喜多氏四
  • 座ノ列ニ
  • 大坂落城
  • ノ時大野
  • 修理ノ命
  • 入ラズ
  • ニ召出サ
  • 喜多左京
  • 樓ニテ傘
  • 家光ノ時
  • ニ依リ城
  • ヲ振ル

  • 元和四年八月二十八日

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  • 五七九

注記 (43)

  • 744,648,55,333のとき、左京
  • 400,643,60,2197も絶へ、次第に人囂もなく成りたれば、夫より櫓を下りたるに、秀頼は生害
  • 283,639,61,2197と聞く、急ぎ櫓を出見るに、はや修理にも逢はず、城内の人皆々四方へ逃去
  • 1202,649,61,2191にせんと答申せしかば、さらば迚四座の列にも入らず、神事にも往かず、江
  • 1318,647,60,2190んやと問はせ給ふに、古時の風とて、縱まゝに四座の下にゐて、藝術を專ら
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  • 1897,651,56,2051り、黒田氏の溜池の第に寓す、是より三代將軍樣猷〓の御時召出され、
  • 1088,645,57,1210都に常住して、御用を勤る家とはなりぬ、
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