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のとき、左京, も絶へ、次第に人囂もなく成りたれば、夫より櫓を下りたるに、秀頼は生害, と聞く、急ぎ櫓を出見るに、はや修理にも逢はず、城内の人皆々四方へ逃去, にせんと答申せしかば、さらば迚四座の列にも入らず、神事にも往かず、江, んやと問はせ給ふに、古時の風とて、縱まゝに四座の下にゐて、藝術を專ら, 召出されしことを云、後谷村某が, り、黒田氏の溜池の第に寓す、是より三代將軍樣猷〓の御時召出され、, 都に常住して、御用を勤る家とはなりぬ、, 其もとは早く御櫓に登り、この傘を開き振るべし迚、赤き日傘を與へたり、, 左京即櫓の上段に上り、〓より傘を出して振りければ、間もなく弓炮の音, の輩を支配すべきや、又は別に一家となり、四座の下に從ひ、一座を以て爲, 本丸の方へ往しに、途中にて大野修理に遇ふ、修理曰、, 其後仰有りしは、汝觀世が上座にゐて、兩氏相并びて、猿樂, 前の廿六卷に、喜多左京が大坂を去て後、御當家に, 語を聞くに、大坂落城, 〔甲子夜話續篇〕〓, 〔甲子夜話續篇〕七十前の廿六卷に、喜多左京が大坂を去て後、御當家に, 云て台廣を云は, ざるを察すべし, 主、喜多氏の親類, 名可順、御數寄屋坊, この年左, 家傳, よりして、台廣の御ことを云はざる者は、六平太江戸に赴しは、元和二年に, 世繼の後召出されしことなれば、台廣の御聽に入しは知べければ、神祖を, 寛永に至ては、台廣已に大御所と稱し給ひ、九年の後薨逝也、されば〓廣御, して、此年よりして、猷廣の御世を繼せらるゝは、七年の後元和九年なり、・, 京三十七, 神祖, 喜多氏四, 座ノ列ニ, 大坂落城, ノ時大野, 修理ノ命, 入ラズ, ニ召出サ, 喜多左京, 樓ニテ傘, 家光ノ時, ニ依リ城, ヲ振ル, 元和四年八月二十八日, 五七九
割注
- 云て台廣を云は
- ざるを察すべし
- 主、喜多氏の親類
- 名可順、御數寄屋坊
- この年左
- 家傳
- よりして、台廣の御ことを云はざる者は、六平太江戸に赴しは、元和二年に
- 世繼の後召出されしことなれば、台廣の御聽に入しは知べければ、神祖を
- 寛永に至ては、台廣已に大御所と稱し給ひ、九年の後薨逝也、されば〓廣御
- して、此年よりして、猷廣の御世を繼せらるゝは、七年の後元和九年なり、・
- 京三十七
- 神祖
頭注
- 喜多氏四
- 座ノ列ニ
- 大坂落城
- ノ時大野
- 修理ノ命
- 入ラズ
- ニ召出サ
- 喜多左京
- 樓ニテ傘
- 家光ノ時
- ニ依リ城
- ヲ振ル
柱
- 元和四年八月二十八日
ノンブル
- 五七九
注記 (43)
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