『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.35

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理人として、パードレ・ディエゴ・デ・サン・フランシスコを、, を任命して派遣せり、フランシスコ會は、代, 後にをガイれド書るレセ院ひ任長譽, 及びペドロ・デ・スニーガ, ヽ更に又司祭アントニオ・デ・サン・ボナヴェンツーラプ, るラ願1新生一文たドホ僧願再の榮, パ申なのス一レマパエフとたせにを, ー六ドよルせキばりレのはに三者, ジのンアすがきマド六理4, ンりシらリ元きエア〓歸年は, レ五な同タじ六ナグに修月の, 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如, ヿ一ヤれシ同一ルウりり五彼, ニでにパのき一ンのをに院の, スまラて望働パサ派來長僧教, は、全日本代理人の, 八五年より一五九九年まで、新イスパ, アンダルシヤなるセビラに生れ、一五, ニーガを與, ンガ管區のセスモアン僧院, 得るを, へられたり, ニヤの第六代副王たりしビラマンリク侯ドン・アルバロ・デ・スニーガのヱ, にり、一六○九年、宣教師を求めん爲め來りしパードレ・グエヴァラに申出, 喜べり, なり、彼はセビラの修道院にて僧となり、一六〇〇年十月二日、誓願をな, の僧院長兼司祭となりたり, に著せり、重大なる理由によりて、パードレ・ソテロは、此市に止まりき、パー, 丁四月一日に、アカプルコより乘船せり、パードレ●デイエゴは、パードレソ, で、一六一〇年、フィリッピンに至れり、暫く印度人間に傳道したる後、パ, 日の死又は不在の場合、代理をなすものなり、兩教師は、六月一日、マニラ, 們號を帶び、其使節の任を果して歸るパードレ・ソテロを伴ひて、一六一八, に赴きて、江戸のキリシタンに對する約束を果し、彼等に交りて死する, ドン・デエゴは、三日後日本に向け出帆せんとする便船を得たるが、日本, フに達せり、バードレ・グッチエルレス任命せられ、同僚として、パードレ, レ・エスタチオ・オルチズの來著を求むるキリシタンの願望の文書、マ, パードレ・デイエゴ, ばれたるにも拘らず、當時日本には、パードレ・エルナンド・デ●サン・ホセフ(, プンドの計報及びパードレ・エルナンド、或は元同じ處にて働きたるパ, る學士ジュアン・カサルの子なり、彼は一六〇四年五月十九日、サ・ジユア, 〓、アウグスチン會の教師の殘れる者なかりき、一六一七年、パードレ・エ, ヴンツリラは、一五八七年、ヴァラドリツドに生れ、身分よき貴族の出な, 約一萬四千名のキリシタンは、臼杵と佐伯のアウグスチン派の僧院と結, ル著ルれに臼のら來二, れたり、然るに日本に於ける彼の靈の子等は、〓りに彼の再來を願ひた, ア一ヤれシ同一ルウりり五彼, パードレ・アント, 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如, 誓ニでにパのき一ンのをに院の, られたり、一六一四年追放せられ、マニラに歸り、修練者, エ來エ殘本ば彼せに中, らんしす, こ長崎ニ, べどろで, 長崎ニ來, あんとに, すにーが, でいえ, でさんふ, 來ル, ぼなうス, おでさん, んつーら, 長崎ニ來, ル, 元和四年是歳, 三五

割注

  • は、全日本代理人の
  • 八五年より一五九九年まで、新イスパ
  • アンダルシヤなるセビラに生れ、一五
  • ニーガを與
  • ンガ管區のセスモアン僧院
  • 得るを
  • へられたり
  • ニヤの第六代副王たりしビラマンリク侯ドン・アルバロ・デ・スニーガのヱ
  • にり、一六○九年、宣教師を求めん爲め來りしパードレ・グエヴァラに申出
  • 喜べり
  • なり、彼はセビラの修道院にて僧となり、一六〇〇年十月二日、誓願をな
  • の僧院長兼司祭となりたり
  • に著せり、重大なる理由によりて、パードレ・ソテロは、此市に止まりき、パー
  • 丁四月一日に、アカプルコより乘船せり、パードレ●デイエゴは、パードレソ
  • で、一六一〇年、フィリッピンに至れり、暫く印度人間に傳道したる後、パ
  • 日の死又は不在の場合、代理をなすものなり、兩教師は、六月一日、マニラ
  • 們號を帶び、其使節の任を果して歸るパードレ・ソテロを伴ひて、一六一八
  • に赴きて、江戸のキリシタンに對する約束を果し、彼等に交りて死する
  • ドン・デエゴは、三日後日本に向け出帆せんとする便船を得たるが、日本
  • フに達せり、バードレ・グッチエルレス任命せられ、同僚として、パードレ
  • レ・エスタチオ・オルチズの來著を求むるキリシタンの願望の文書、マ
  • パードレ・デイエゴ
  • ばれたるにも拘らず、當時日本には、パードレ・エルナンド・デ●サン・ホセフ(
  • プンドの計報及びパードレ・エルナンド、或は元同じ處にて働きたるパ
  • る學士ジュアン・カサルの子なり、彼は一六〇四年五月十九日、サ・ジユア
  • 〓、アウグスチン會の教師の殘れる者なかりき、一六一七年、パードレ・エ
  • ヴンツリラは、一五八七年、ヴァラドリツドに生れ、身分よき貴族の出な
  • 約一萬四千名のキリシタンは、臼杵と佐伯のアウグスチン派の僧院と結
  • ル著ルれに臼のら來二
  • れたり、然るに日本に於ける彼の靈の子等は、〓りに彼の再來を願ひた
  • ア一ヤれシ同一ルウりり五彼
  • パードレ・アント
  • 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如
  • 誓ニでにパのき一ンのをに院の
  • られたり、一六一四年追放せられ、マニラに歸り、修練者
  • エ來エ殘本ば彼せに中

頭注

  • らんしす
  • こ長崎ニ
  • べどろで
  • 長崎ニ來
  • あんとに
  • すにーが
  • でいえ
  • でさんふ
  • 來ル
  • ぼなうス
  • おでさん
  • んつーら

  • 元和四年是歳

ノンブル

  • 三五

注記 (67)

  • 853,638,63,1633理人として、パードレ・ディエゴ・デ・サン・フランシスコを、
  • 961,1565,61,1273を任命して派遣せり、フランシスコ會は、代
  • 1047,2641,905,47後にをガイれド書るレセ院ひ任長譽
  • 1302,984,59,700及びペドロ・デ・スニーガ
  • 403,812,62,1637ヽ更に又司祭アントニオ・デ・サン・ボナヴェンツーラプ
  • 1045,2571,914,44るラ願1新生一文たドホ僧願再の榮
  • 1042,2717,909,42パ申なのス一レマパエフとたせにを
  • 1118,1926,858,54ー六ドよルせキばりレのはに三者
  • 281,2631,649,57ジのンアすがきマド六理4
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  • 1225,2136,731,53レ五な同タじ六ナグに修月の
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  • 1228,2074,729,46ヿ一ヤれシ同一ルウりり五彼
  • 1203,2506,755,42ニでにパのき一ンのをに院の
  • 1216,2431,749,47スまラて望働パサ派來長僧教
  • 831,2293,46,526は、全日本代理人の
  • 1280,1721,44,1096八五年より一五九九年まで、新イスパ
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  • 1100,658,52,2168にり、一六○九年、宣教師を求めん爲め來りしパードレ・グエヴァラに申出
  • 399,631,38,188喜べり
  • 1163,649,54,2167なり、彼はセビラの修道院にて僧となり、一六〇〇年十月二日、誓願をな
  • 955,653,47,818の僧院長兼司祭となりたり
  • 599,615,53,2198に著せり、重大なる理由によりて、パードレ・ソテロは、此市に止まりき、パー
  • 718,666,50,2143丁四月一日に、アカプルコより乘船せり、パードレ●デイエゴは、パードレソ
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  • 643,674,52,2146日の死又は不在の場合、代理をなすものなり、兩教師は、六月一日、マニラ
  • 759,656,56,2166們號を帶び、其使節の任を果して歸るパードレ・ソテロを伴ひて、一六一八
  • 481,631,57,2176に赴きて、江戸のキリシタンに對する約束を果し、彼等に交りて死する
  • 526,641,54,2174ドン・デエゴは、三日後日本に向け出帆せんとする便船を得たるが、日本
  • 1398,667,53,2111フに達せり、バードレ・グッチエルレス任命せられ、同僚として、パードレ
  • 1442,690,49,2118レ・エスタチオ・オルチズの來著を求むるキリシタンの願望の文書、マ
  • 879,2289,40,525パードレ・デイエゴ
  • 1632,659,48,2153ばれたるにも拘らず、當時日本には、パードレ・エルナンド・デ●サン・ホセフ(
  • 1514,667,49,2142プンドの計報及びパードレ・エルナンド、或は元同じ處にて働きたるパ
  • 272,636,54,2168る學士ジュアン・カサルの子なり、彼は一六〇四年五月十九日、サ・ジユア
  • 1560,673,50,2135〓、アウグスチン會の教師の殘れる者なかりき、一六一七年、パードレ・エ
  • 312,631,56,2186ヴンツリラは、一五八七年、ヴァラドリツドに生れ、身分よき貴族の出な
  • 1674,664,53,2157約一萬四千名のキリシタンは、臼杵と佐伯のアウグスチン派の僧院と結
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  • 1747,665,51,2135れたり、然るに日本に於ける彼の靈の子等は、〓りに彼の再來を願ひた
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