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理人として、パードレ・ディエゴ・デ・サン・フランシスコを、, を任命して派遣せり、フランシスコ會は、代, 後にをガイれド書るレセ院ひ任長譽, 及びペドロ・デ・スニーガ, ヽ更に又司祭アントニオ・デ・サン・ボナヴェンツーラプ, るラ願1新生一文たドホ僧願再の榮, パ申なのス一レマパエフとたせにを, ー六ドよルせキばりレのはに三者, ジのンアすがきマド六理4, ンりシらリ元きエア〓歸年は, レ五な同タじ六ナグに修月の, 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如, ヿ一ヤれシ同一ルウりり五彼, ニでにパのき一ンのをに院の, スまラて望働パサ派來長僧教, は、全日本代理人の, 八五年より一五九九年まで、新イスパ, アンダルシヤなるセビラに生れ、一五, ニーガを與, ンガ管區のセスモアン僧院, 得るを, へられたり, ニヤの第六代副王たりしビラマンリク侯ドン・アルバロ・デ・スニーガのヱ, にり、一六○九年、宣教師を求めん爲め來りしパードレ・グエヴァラに申出, 喜べり, なり、彼はセビラの修道院にて僧となり、一六〇〇年十月二日、誓願をな, の僧院長兼司祭となりたり, に著せり、重大なる理由によりて、パードレ・ソテロは、此市に止まりき、パー, 丁四月一日に、アカプルコより乘船せり、パードレ●デイエゴは、パードレソ, で、一六一〇年、フィリッピンに至れり、暫く印度人間に傳道したる後、パ, 日の死又は不在の場合、代理をなすものなり、兩教師は、六月一日、マニラ, 們號を帶び、其使節の任を果して歸るパードレ・ソテロを伴ひて、一六一八, に赴きて、江戸のキリシタンに對する約束を果し、彼等に交りて死する, ドン・デエゴは、三日後日本に向け出帆せんとする便船を得たるが、日本, フに達せり、バードレ・グッチエルレス任命せられ、同僚として、パードレ, レ・エスタチオ・オルチズの來著を求むるキリシタンの願望の文書、マ, パードレ・デイエゴ, ばれたるにも拘らず、當時日本には、パードレ・エルナンド・デ●サン・ホセフ(, プンドの計報及びパードレ・エルナンド、或は元同じ處にて働きたるパ, る學士ジュアン・カサルの子なり、彼は一六〇四年五月十九日、サ・ジユア, 〓、アウグスチン會の教師の殘れる者なかりき、一六一七年、パードレ・エ, ヴンツリラは、一五八七年、ヴァラドリツドに生れ、身分よき貴族の出な, 約一萬四千名のキリシタンは、臼杵と佐伯のアウグスチン派の僧院と結, ル著ルれに臼のら來二, れたり、然るに日本に於ける彼の靈の子等は、〓りに彼の再來を願ひた, ア一ヤれシ同一ルウりり五彼, パードレ・アント, 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如, 誓ニでにパのき一ンのをに院の, られたり、一六一四年追放せられ、マニラに歸り、修練者, エ來エ殘本ば彼せに中, らんしす, こ長崎ニ, べどろで, 長崎ニ來, あんとに, すにーが, でいえ, でさんふ, 來ル, ぼなうス, おでさん, んつーら, 長崎ニ來, ル, 元和四年是歳, 三五
割注
- は、全日本代理人の
- 八五年より一五九九年まで、新イスパ
- アンダルシヤなるセビラに生れ、一五
- ニーガを與
- ンガ管區のセスモアン僧院
- 得るを
- へられたり
- ニヤの第六代副王たりしビラマンリク侯ドン・アルバロ・デ・スニーガのヱ
- にり、一六○九年、宣教師を求めん爲め來りしパードレ・グエヴァラに申出
- 喜べり
- なり、彼はセビラの修道院にて僧となり、一六〇〇年十月二日、誓願をな
- の僧院長兼司祭となりたり
- に著せり、重大なる理由によりて、パードレ・ソテロは、此市に止まりき、パー
- 丁四月一日に、アカプルコより乘船せり、パードレ●デイエゴは、パードレソ
- で、一六一〇年、フィリッピンに至れり、暫く印度人間に傳道したる後、パ
- 日の死又は不在の場合、代理をなすものなり、兩教師は、六月一日、マニラ
- 們號を帶び、其使節の任を果して歸るパードレ・ソテロを伴ひて、一六一八
- に赴きて、江戸のキリシタンに對する約束を果し、彼等に交りて死する
- ドン・デエゴは、三日後日本に向け出帆せんとする便船を得たるが、日本
- フに達せり、バードレ・グッチエルレス任命せられ、同僚として、パードレ
- レ・エスタチオ・オルチズの來著を求むるキリシタンの願望の文書、マ
- パードレ・デイエゴ
- ばれたるにも拘らず、當時日本には、パードレ・エルナンド・デ●サン・ホセフ(
- プンドの計報及びパードレ・エルナンド、或は元同じ處にて働きたるパ
- る學士ジュアン・カサルの子なり、彼は一六〇四年五月十九日、サ・ジユア
- 〓、アウグスチン會の教師の殘れる者なかりき、一六一七年、パードレ・エ
- ヴンツリラは、一五八七年、ヴァラドリツドに生れ、身分よき貴族の出な
- 約一萬四千名のキリシタンは、臼杵と佐伯のアウグスチン派の僧院と結
- ル著ルれに臼のら來二
- れたり、然るに日本に於ける彼の靈の子等は、〓りに彼の再來を願ひた
- ア一ヤれシ同一ルウりり五彼
- パードレ・アント
- 十バ九る僚ン處一ンス彼練臼如
- 誓ニでにパのき一ンのをに院の
- られたり、一六一四年追放せられ、マニラに歸り、修練者
- エ來エ殘本ば彼せに中
頭注
- らんしす
- こ長崎ニ
- べどろで
- 長崎ニ來
- あんとに
- すにーが
- でいえ
- でさんふ
- 來ル
- ぼなうス
- おでさん
- んつーら
- ル
柱
- 元和四年是歳
ノンブル
- 三五
注記 (67)
- 853,638,63,1633理人として、パードレ・ディエゴ・デ・サン・フランシスコを、
- 961,1565,61,1273を任命して派遣せり、フランシスコ會は、代
- 1047,2641,905,47後にをガイれド書るレセ院ひ任長譽
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