『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.742

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を討せて續者無事は不可有、唯今迄笠岡に數日滯留して、又爰に日を可, 呑、其翌日に廣嶋に至れり、福嶋丹波申らるす、今日則渡可申候得共、城中, 今少掃除不出來、其上下々之荷物退兼候間、明日まて御待被下候樣こと, へ正則か状到來して、〓故なく大崎玄蕃城を渡せり、各城に入てられは、, と有し時、安藤對馬守申老るす、子細に不及、無二無三に上使城へ乘入討, 有、何〓相談之時右近云、古來より如此之例聞傳へたる例も有、唯一刻も, 死之節爰に有り、跡先之考に不及事也、城の門際にて上使討死せは、上使, の城へ正則状不來は渡す間敷と有ニ付、又正則か状取に遣すも如何也, 守下知して、茶をも湯をもこほさせ、別の湯を入替、茶を取出して、各是を, 送にあらすと云切、加藤嘉明一義こ〓不及、可然と領掌して出たれは、息, 座敷之構、茶湯等、心の及ふ所いさきよし、去らは茶を呑んと有し時、對馬, 也、嘉明申す、舟は猶以て用意仕たり、せめて某船に御召候樣ことの事に, て、嘉明か舟にて上使衆尾道に至る、何〓陸地より人數を廻す、爰に三原, 式部少輔早人數を連て押出す、早々乘取〓きに究りぬる處に、三原之城, 早く城を請取可然也、或は城にて扱になり、城を渡に、下人之荷物片付ら, 丹波廣島, 城ヲ屠ラ, 開城ノ猶, 豫ヲ請フ, 重信三原, ントス, 三原開城, 元和五年六月二日, 七四二

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  • 丹波廣島
  • 城ヲ屠ラ
  • 開城ノ猶
  • 豫ヲ請フ
  • 重信三原
  • ントス
  • 三原開城

  • 元和五年六月二日

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  • 七四二

注記 (24)

  • 1189,712,74,2126を討せて續者無事は不可有、唯今迄笠岡に數日滯留して、又爰に日を可
  • 491,717,74,2130呑、其翌日に廣嶋に至れり、福嶋丹波申らるす、今日則渡可申候得共、城中
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