『大日本史料』 12編 31 元和五年七月~同年十月 p.298

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九年、從五位下、右兵衞佐に敍任す、, 土井大炊頭利勝、嶋田兵四郎利正を御使とし、懇の仰をかうふる、この, に屬し、御後備たり、元和元年、大坂再亂のときも、また正信か組に屬しま, は左右に奉仕をむとこひとてまりりしかは、十年十月朔日、伏見より江, ろこむとてますりしむ〓を台徳院殿に告さをたまふにより、すなはち, 戸に下らをたまふのとき、供奉の列に加へられ、十二月八日、さきに政矩, 年、豐前守にあらとむ、十四年四月、仰によりす、松平周防守康重か女を娶, 御旗本の前備に候す、三年九月、鹿野を轉し、石見國津和野の三本松城を, 月七日、遺領を繼、さきにたまふ五千石をあはを、すへて四万三千石を領, 〓、この年、伯耆國久米、河村二郡乃うちにをいて、五千石を賜ふ、十七年九, たまひ、所領を同國鹿足、美濃、那賀、邑知四郡のうちにうつさ多、五年、福嶋, 後本多正純、成瀬正成につい〓、, 正則罪ありて國除るゝのとき、安藤對馬守重信、永井右近大夫直勝御使, し、この日、領知乃御判物をたまふ、十九年、大坂御陣乃とき、本多正信か組, 政矩多年登營のとき、大名の列にあり、こ〓その本意にあらす、存かはく, 政矩母は上におなし、天正十八年生な、東照宮につかへたてまつり、慶長, 五歳, 時に十, 履歴, 元和五年八月十五日, 二九八

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  • 元和五年八月十五日

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  • 1659,705,61,988九年、從五位下、右兵衞佐に敍任す、
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