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喜び、船主等力を併せて、先初に佛殿を營みて、本尊を安んじ、傍に媽姐堂を建てゝ、天妃を, 迎へ、直ニモトノ如ク將臺ニ安置ス、此船神ヲ、長崎ニテ菩薩ト號シ、公邊ニモ、ボサノセ, 惑の邪教を崇信せざるを證と爲し、且先亡のため、菩提院を建立し、眞圓を以て、開創の住, 持とし、後來諸船商の歸依寺となさんことを願ひ請ふに、則官の許しを得て、おの〳〵相, 禁令日々に嚴にして、其殘徒を捕獲し、其餘黨を執收し、遺類をして在らしむることなし、, の初、歐陽氏買ふて別莊とす、明の江西浮梁縣の人眞圓來貢せしに、事に坐せられて、因て, 卸シ抔ト書記ス、崎中ノ兒童迄モ、ボササマト云ヘバ、此船神ノ哀ト心得フ也、ケ樣云ヒ, こゝに於て、流寓假宿の唐客、船商等の中にも、同醜の徒衆交り居るのよし聞えあり、官よ, りしば〳〵鞠問あるにより、唐客等大に恐れをなし、素より唐山においても、嘗て耶蘇誑, 自ら藁して僧となり、元和九年、始めて小菴を構へてこゝに隱る、是時に當つてや、耶蘇の, ナラワシタル神ハ、何ノ神体ト云哀、知ル人少シ、故ニ此清朝ノ徐葆光ノ纂スル天妃靈, り、俗に南京寺と稱す、境内凡五千九拾四坪なり、此地、古しへ皆吉氏の廢宅なりしを、元和, 奠り、市舶の祝祷に便りす、こゝに至て、官よりかさねて召され、唐商等の船中齎らし來る, 應記ノ全文ヲ左ニ記ス, 〔長崎名勝圖繪〕, 〓東明山興福寺は、醫王山の右にあり、禪宗臨濟派の唐寺な, 略ス, 東邊之部, ○引用, 元和六年是歳, 二〇
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- 略ス
- 東邊之部
- ○引用
柱
- 元和六年是歳
ノンブル
- 二〇
注記 (21)
- 303,632,62,2187喜び、船主等力を併せて、先初に佛殿を營みて、本尊を安んじ、傍に媽姐堂を建てゝ、天妃を
- 1804,692,57,2123迎へ、直ニモトノ如ク將臺ニ安置ス、此船神ヲ、長崎ニテ菩薩ト號シ、公邊ニモ、ボサノセ
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