『大日本史料』 12編 35 元和六年是歳~元和六年雑載 p.105

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ラの五人なり、, この傳道に當りて、四誓願の師父ジョアノ・ダ・フォンセカ, 日本人師父シスト・イヨは、薩摩及び大隅の地方を訪れたり、, を行ひしは、夜中に河畔を散策せし時なりき、, 前記師父等は、肥後及び薩摩を歴訪し、その一人師父ジュリアン・ド・ナカウラは、筑後、豐前, フェレイラは、平戸を訪れたり, 神意により、又その天資によりて、最も秀でたる才能を賦與せられたる師父クリストフ・, その節制を絶えず稱讚せり、小教區長師父ピエトロ・パオロ・ナヴァロ、ジャン・バティスト・, 有馬には、五人の師父勤務せしが、領主は好意を有したり、彼はキリスト教の掟を稱揚し、, 疲勞の極死去せり、, 彼は天使の如く歡迎せられ、千三百名の告解を聽きたり、彼がその聖職, ゾラ、ジャック・アントワヌ・ヂャノンヌ、ガスパル・ド・クラスト、及びジュリアン・ド・ナカウ, )ヽは、九月二十九日、, マリア・ルウレンソの間に生れたり、一五九六年十一月二十七日、〓, 十七歳にしてコインブラの耶蘇會に入, 新築せられしカムポリドのノビシアドに至りて、二年の業を終へたり、彼は、その意をたゞ神の, 人たらしめたり、一六〇〇年, り、一五九七年, 他の十九名の修道士と共に、インドに向ひ、同年、日本に遣はされたり、爾來二十年, 光にのみ注ぐべきインド傳道を望みたり、その爲め、神はこれに勇氣を與へ、最も虚弱なる人をして、最も雄々しき, こと三十二年、日本に在ること十六年な, リスボンに生る、五十二歳、耶蘇會に在る, らざる効果を收めたり, 人間の脆弱と神の慈悲との記憶すべき例證たるこの師父は〔リスボン大司教, ○元和六年九, 宣教に從事せしが、少か, 區なる〕トレ・ヴェドラに近きジブレイラに於いて、ドミンゴ・フェレイラと, 月四日ニ當ル、, 月八日二當ル, ○慶長元年十, ○慶長二, 年二當ル, ○慶長五, 〓と同じく囚はれしも、許され、先の二人は共に、又カテリンは父の家にて、聖者の如く暮したり、, 年ニ嘗ル, 會及びドミニコ會の修道士等に讓れり、トウアンの妻ジュスタ、娘アントニアは、ジヤンの妻カテリ, き, 區なる〕, り、一五九七年, りあんど, 師父じゅ, いら平戸, 隅地方ニ, よ薩摩大, なかうら, 傳道ス, しすとい, 筑〓豐前, ニ赴ク, ニ抵ル, ふふえれ, くりすと, 元和六年是歳, 一〇五

割注

  • こと三十二年、日本に在ること十六年な
  • リスボンに生る、五十二歳、耶蘇會に在る
  • らざる効果を收めたり
  • 人間の脆弱と神の慈悲との記憶すべき例證たるこの師父は〔リスボン大司教
  • ○元和六年九
  • 宣教に從事せしが、少か
  • 區なる〕トレ・ヴェドラに近きジブレイラに於いて、ドミンゴ・フェレイラと
  • 月四日ニ當ル、
  • 月八日二當ル
  • ○慶長元年十
  • ○慶長二
  • 年二當ル
  • ○慶長五
  • 〓と同じく囚はれしも、許され、先の二人は共に、又カテリンは父の家にて、聖者の如く暮したり、
  • 年ニ嘗ル
  • 會及びドミニコ會の修道士等に讓れり、トウアンの妻ジュスタ、娘アントニアは、ジヤンの妻カテリ
  • 區なる〕
  • り、一五九七年

頭注

  • りあんど
  • 師父じゅ
  • いら平戸
  • 隅地方ニ
  • よ薩摩大
  • なかうら
  • 傳道ス
  • しすとい
  • 筑〓豐前
  • ニ赴ク
  • ニ抵ル
  • ふふえれ
  • くりすと

  • 元和六年是歳

ノンブル

  • 一〇五

注記 (54)

  • 633,628,57,351ラの五人なり、
  • 518,635,66,1395この傳道に當りて、四誓願の師父ジョアノ・ダ・フォンセカ
  • 1094,620,68,1472日本人師父シスト・イヨは、薩摩及び大隅の地方を訪れたり、
  • 1208,621,65,1106を行ひしは、夜中に河畔を散策せし時なりき、
  • 289,628,70,2192前記師父等は、肥後及び薩摩を歴訪し、その一人師父ジュリアン・ド・ナカウラは、筑後、豐前
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